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正しい日本語

思わず吹き出したのは久しぶりであって。

shimizuhouse.net

なんかよく「それ以上でも以下でもない」などと言いますが、以上でも以下でもなかったらなんでもないじゃボケぇぇぇぇぇ

あー。言われてみれば。以上ってのはその基準を含んで上位のものを指したりするし、以下ってのはその基準を含んで下位のものを指したりするわけで。

ということです。日本語は正しく使いましょうみたいな。

けれどこの言い回しを額面通りに受け取ってしまうと(というかまさしくそれ以外の何物でもないわけですが)、こういう言い回しを作中で使用する漫画家(週刊少年マガジンで好評連載中)や記者会見あるいはそれに準じたワイドショーでのゲスト出演時において自身の半生を振り返る芸能人などは皆よくわからない存在となってしまうので、ここで好意的解釈例を示すことによってそれらを回避する試みというか。

つまり「それ以上でもそれ以下でもない」という言葉には日本語に特徴的な表現のひとつである省略が用いられているのだと考えられるわけで。恐らく「それ以上で(あり続けること)もそれ以下で(あり続けること)もない」とか、「(毎日)それ以上でも(いられないし、それに加えて)それ以下(という評価を頂くにも値しない状態、)でも(希望は捨て)ない」とか、何かこうポジティブなものがあるのではないのかと思うのです。「(俺って人とちょっと違うところがあるっていうか俺ってオンリーワンっていうかでも)それ(を軽率に見せびらかしたりはしないし)以(前そうやってトラブってるやつもいたけど)上(から見下ろすような態度は良くないよねっていうか)でもそれ(もケースバイケースっていうか TPO っていうか時と場合によるんだけど)以(前トラブってたやつで)下(から見上げるような態度のやつもいてそれも良くないよねっていうか)でも(自分がそういうことされたらまんざらでも)ない(かも知れないなぁ)」っていうか。

メートル法

これは驚き。

鉄パイプ?の男、児童追い回して殴り3人けが…京都

男は逃げる児童を追い回し、自転車に乗ろうとした3年男児(9)と6年男児2人(いずれも11歳)の計3人が鉄パイプのようなもので腕や腰などを殴られた。3人とも軽傷。伏見署は傷害事件で男の行方を追っている。

調べでは、男は60歳くらいで約1・6メートル。白髪まじりで白色Tシャツ、グレーのジャージ姿だった。(読売新聞)

この人は何かが 1.6m らしい、ということで友人と話したら、六十歳くらいをメートルに直すと 1.6 くらいなんじゃないのか、なんていう結論に陥りました。記事は省略とかしないでちゃんと書けよと。

KNOPPIX で萌えるか

以前 ジュン氏 とメッセンジャーでやり取りして「あー Linux 使ってみたい、CDLinux 試してみるか」なんていう話になったのだけれど(日を記すと書いて日記 参照)、結局 CD-R ドライブが不調のため焼けなかったので「そのうちね」ってな感じに延期。

そしたら今日ニュースサイトにタイムリー(?)な話題が。

「驚くほどにグングン萌える」Linux本登場

Linux萌え萌え大作戦 で公開されていたノウハウを書籍にした、 Linux を萌えものにカスタマイズする本「ぽえ♥りな」が秀和システムから発売になりました。 KNOPPIXをカスタマイズしたブータブルCDが付いてきます(スクリーンショット) ので、ちょっと試してみたいが常用する気にはなれないという人にもお薦めでしょう。

あー。なんというか。

そもそも PC をいじっているときに萌え要素がどうのといったことはとても些細なこととして扱っているので、Linux であるかどうか以上の付加価値を感じるかといえばそれはとても微妙な問題なのですが、どうせなら技術的なことの書かれている本の一冊や二冊ついでに購入するに越したこともないので悪くない抱き合わせであると言えるかも知れないというか。でもちょっと試してみたいが常用する気にはなれないという人にもお薦めというのはちょっとどうかと。こんな OS 使ってるところ家族に見られたらどうなることやら。ダメですか。

紙で CD ケースを作る

そういう存在を初めて知った。

A4用紙1枚でCDケースを作る方法

ノリとかハサミとか定規とかを一切使わず、我ら日本人にはおなじみの伝統的折り紙の手法で出来てしまうあたりが二重に嬉しい(しかも2枚入ってしまう)
意外とCDケースには中途半端に困ることが多いので、覚えておくとこれは重宝しそうな気がする。なかなかよいでわないか。

で、PDF にして公開しているところもあった。というわけでふたつばかり印刷してみた。

長い間メンテナンスもせずに放ったらかしにしていた報いか、赤色のインクが桃色になって印刷されるという大して重要度の高くないアクシデントに見舞われつつ完了。今から折ってきます。

8:45 追記
これはなかなか難しい。多分紙の厚みの問題なんだろうけれども、ほぼ正確な位置できっちりと折り目をつけてもぴったりのサイズにはならないことが。こういうものはルーズにやった方がなんとなく上手くいったりするもんですかね。

orkut の "A Clockwork Orange" コミュニティ参加者に発信されたらしきスパムメールがあるのだけれど、なかなか内容が面白そうだったのでメモがてらここに残しておこう、と。二日三日ログインしないとすぐメールボックスがいっぱいになってどんどん削除されていくので。

そのうち和訳して載せとこうかとも。

長いので追記に。

" Nietzsche and clock work orange "

The Clock work Orange .

What is good ? What is Bad ? What is evil ?
You say that something is good , Why ?
Does it have an absolute value?
You can find the answers of these questions in some of Nietzsche's Books.
One of them is " genealogy of morals " and another " Anti Christ " .
Also you can read " The will to power " that its German name is "der wille zur macht ". This book is the source of many of Kubrick 's Films .
I know that some of these scripts were written by European authors such J.C. Clarck .
But Kubrick chose them for their similarity to Nietzsche' Ideas.

I want to write about " clock work orange " , my favorite film .
This film is related to two questions those come first in this paper.
What is good ? What is bad ?
Do you think that "Alex boy " is a bad boy ? or you think he is a hero .
Alex says to our world that there's no good in our modern life.
Good is every thing that has benefit to others .
Please remember the final sequence of the film .
" I WAS CURED ALLRIGHT " .
He was not cured , he was raping a girl in his dream ; but people clapping him .
Why ?
Because they abuse him for their evil plan .

The rule of money . This is our modern life . The film say this .
His parents sold him to money .
" WHERE IS MY SNAKE MOM ? "

And the film is a criticism to Technology , that destroyed our beautiful life.
The doctors abuse him too.

Oh poor Alex .
The 9th symphony of Beethoven in the film is like bullet .It is so great .
Who can use the music as well as Kubrick in the film?

The betrayal of Alex' s friends is the symbol of our modern world .
I think it is enough , but I tell you this ; Each shot of this film has
philosophical signs .

At the end I want to tell you that the personality of " Alex " in this
Film is very close to " Jim Douglas Morrison " who was singer of " the doors " and
Committed suicide in 1971 .

そのうち和訳を、と。気持ちだけは。

CDLinux と挫折

えーと、以前使ってた PC のモニタが逝去されたので現在は旧式の PC にて頑張ってるわけですが、現在 CDLinux というものに興味を持っていたりして(KNOPPIX で萌えるか 参照)、けれどあまりに旧式の PC だからなんと CD-R が焼けないというどれだけ旧式なんだみたいなそんな事態であって、例えるなら「ちょっとコンビニ行ってくるわ」なんて家を出て車を三十分走らせるみたいな、でもこの場合は結局のところコンビニへたどり着けているからまぁいいやということであるし、そこへたどり着けていない今の自分は迷子になったとかが関の山かなぁなどと思ったりもした。

で、焼けないんならムックと抱き合わせのやつでも買ってくればいいんでないの、と。ムックっていうのはガチャピンのライバルのことではなくて、なんかちょっと特集で一冊出したよみたいな編集者の悪ノリです。悪くはないか。

で、買ってきたんですよ。っても ぽえ♥りな でなくて、日経 Linux のムック を。さすがに前者は敷居が高いですよ。高いデスヨ。

で、起動しようとしたら、なんか書いてあるじゃないですか。DVD-ROM に。

で、よくよく考えたら動くわけないじゃないですか。CD-R も焼けないのに。CD-ROM ドライブだというのに。1,500 円何に払ったんだっていう。そもそも KNOPPIX 3.4 と Fedora Core 2 が一枚の CD-ROM に同居してるはずがないじゃないですか。1,500 円どこへ放り投げたんだっていう。せめて表紙のお姉さんがもっとツボをついているかあるいは水着写真の一枚でも掲載されていれば。とか煩悩全開だから足元すくわれるんですか?ああああ。

今週にやるべきこと覚書

メモ。

  • 就職活動の資料請求
  • 予防接種の電話予約
  • 下宿の解約手続き
  • ネットカフェで CD-R が焼けるかどうか確認
  • 学校の PC で CD-R が焼けるかどうか確認
  • FOAF とか自己紹介めいたものをしっかり書く
  • サイトの説明とかしっかり書く
  • 卒業研究進める
  • 実習前課題片付ける
  • 甘い物を食べる
  • 具体的にはパフェを食べる
  • できれば二回食べる

最後順不同リストじゃないよっていうか。

小説理論

メモ。

三点リーダを使えとかそういうのは理論ではなくて作法ですかね。

教育方針と教師の精神とか

最近流行ってるんですかね。

なんていうか、本気で教員のメンタルケアなんかを視野に入れた方がいいんでないですかね。不適切な指導云々以前に、なんか人として危うい領域に片足突っ込んでるような気がしてならんのですが。子どもが飽きないようにってそんなレベルの問題じゃないことは誰の目にも明白だろうし(道徳なんかの授業とかって今ないんですかね)、確率からロシアンルーレットや死を連想したっていうのはもう何か精神的な問題抱えてるんじゃないかと疑ってしまうほどですが。

というようなニュースに対して「教員は学校(大学)出てからまたすぐ学校に戻るから、まともに社会適応できてなくても判明しづらい」と考察していた友人のことをふと思い出したり。

教師の不祥事って凄いカテゴリだな。

緊急時の応対

JR 中央線で人身事故があったとかで、駅に一時間と十分くらい足止めを食った。そのとき、隣の座席に座っていた三十過ぎくらいのサラリーマンが、携帯電話で上司らしき相手にこんな発言をしていた。

「いやー本当最悪っすわ。いい迷惑ですわ」
「どうせ飛び込むんなら海とかにしろって話でね」
「やっぱり富士の樹海なんかがいいんですかね」

人身事故が投身自殺かどうか、はともかく、彼がとても配慮や思いやりや他人の状況を想像する力が欠如していることが良く分かった。他にも電車内が混雑し始めてからはろくでもない会話をする女子大生(多分同じ大学)がいたりだとか、「バスみたいに通り過ぎたらいいんだよ。ああ、降りるやついるのか」とか憚りもせず発言する四十過ぎのおっさんだとか、降りようとする乗客に対して「ええっ!?降りるんですか!?」と責め立てるように言う(多分満員電車内で動くことが煩わしかったのだろうけれど)おばさんだとか、もうそれは散々なものだった。

東海大震災とか起きたら最悪だろうなこの地域。

不愉快なテクスト

Folio にて喧嘩を売った結果がどのようになるかやや期待しつつ記事の進行を待ちわびていたりする次第であるわけですが。

対象はいわゆるオンライン小説とか呼ばれるもののうちの純文学というカテゴリのようですが、具体的に引用している個所を脳内変換して読めば他のカテゴリに対しても流用できそうな。というかものの批判だとかそういったものはある程度構造が決まったかたちに整うものだろうと思われるので(前提・具体例・批評、みたいな)シリーズを一通り終えた暁には翻訳版として他カテゴリを対象としたものが刊行されないかなどと無茶な思いを書き連ねつつ。

最近というかまぁ薄々気付いてたような雰囲気ですが、いわゆるオンライン小説にはどうも特殊な表現がいくつかあるようで。その特殊性が書き手の能力的な基準値つまりレベルだとかそういったものに依存するわけではなくて、特定のカテゴリに蔓延するというか。カテゴリならでは、というか。定石というか。まぁぶっちゃけステレオタイプなんですけど。

そんなステレオタイパー(造語)の技法で最近気になるというか根拠のない不快感を覚えるものとして、中途半端な体言止めというか、接続詞や助詞で止めてしまう(読点でなく句点を打つ、ということ)というものがどうも目に付いて目に付いて。「僕はつぶやくように彼女の名を呼んだ。すると。」みたいな。これは引用でなくて今勝手に思いついたんですが。気持ち悪くないですかね。

あとやっぱり椎名某(歌手)的な漢字使いということなんでしょうけれども、「此処」とか「其れ」とか「嗚呼」とか「幾ら」とか、あとは微妙に馴染みのない漢字を敢えて使うとか(「赫い(あかい?)」とか「躯(からだ?)」とか)、なんか、こう。

美辞麗句だとかそういうものが効果的である場面というものは確かに存在するのでしょうけれども、適材適所的な計算もなしにただずらずらと並べ立てて表面上綺麗っぽい雰囲気を演出したところで、本当に書き手も理由を後付けできないくらい空っぽだったら自分が一番空しくならないですかね。

空腹中枢がやられる夏

多分四十時間くらいまともな食事らしき食事はしていないのだけれど(机に向かって物を食べる、という意味なら三十時間くらい前に朝マックと二十五時間くらい前にパフェを食べた)、というのは眠気や夏バテで食事のタイミングを逃していることと、ただ単に物を食べにどこかへ行ったり買ったりあれやこれやすることが面倒に思えるくらいやる気のなさがピークであることが原因であるのだけれど。とりあえず冷蔵庫に入っていたのでトマトとかガトーショコラとか食べてみる。最低限カロリーは必要だよねっていうか。

「食事(多分主に朝食のこと)を抜いた方が太る」と聞いたことがあるけれど、というのは体が栄養吸収の機会が少ないことに気が付いて脂肪として蓄えようとするかららしいのだけれど、ということは食事して栄養素が脂肪に変わってしまうということであって、その食事は脂肪を増やすためだけに行われる(不測の事態に備えるためだけに消費される)ということになるのであって、カロリーを消費する活動すなわち思考や運動をするためにはスイッチを切り替えるように物凄い食べなきゃいけないんだろうか。

思考するカロリーが足りないため駄文を書く、とかではなく。

ウィルス騒動で修復させられ

そういえば昨日は同級生が「パソコンがウィルスにやられたから直してくれ」などと呼び出しをかけてきたので様子を見に行ったのだけれど、どうやらウィルスというかトロイのようなものでいろいろ改竄されているようだった。

まだ新しめなアレらしくてそのときはこのトピックスも書き込みが少なく「リカバリーしたら?」などと進言したりしたものだけれど。

というか、元恋人に設定されたというようなことを言っていたのだけれど、そもそも PC 自体が妙なカスタマイズを施されてとても扱いにくかった。タイトルバーは青地(WinXP の Luna)に赤色というかピンク色の文字、デスクトップアイコンはハローキティ。見た目がそれだけならまだしも(物凄く見難いけど)、マウスカーソルをアイコンに合わせるだけで選択状態になったり、シングルクリックでファイルを開くように設定されていたり(Windows のデフォルトはダブルクリック)。例えばこれが Mac とか UNIX で、「ああこれはこういうシステムなんだな」と前提が自分の中にあれば違和感は少ないのだろうけれど、使い慣れた Win で普段と違う動きをすることがどれだけ厄介なことかよくわかった。

トロイ駆除はお預けになったけれど、とりあえずデスクトップの配色だけ戻した(シングルクリックの件は設定方法忘れたので放置)。朝八時半にメールあったけど今日も呼び出されるんだろうか。というか彼は朝九時から実習で、夜はその打ち上げに行ってるはずなんですが。面倒くさい。

14:06 追記
Spyware S&D を入れたら 23 個スパイウェアが検出されて、そのうち 5 個は常にメモリ上にあるらしく再起動してから削除、とかそういう手順を踏むことになった。だから IE で通常のセキュリティレベルでアダルトサイト巡りなんかするなと(以下略)。

写真の概要

記事自体は「ああまたか」みたいな感じですが。

神取忍氏が当選すれば、国会内に“リング”?!

写真:ド派手なリングガウン姿で若い女性とガッチリ握手。“男っぷり”全開の神取氏=東京・紀尾井町。同中:強行採決を阻止しようと飛びかかる森氏=中央太もも姿=と、襲われた大仁田氏=その左=昨年7月、参院第34委員会室=撮影・小松洋

中央太もも姿。太もも姿って。

エンターテイメント

どういう人なのか全然知らなかったのだけれど、破天荒なことだとか前代未聞であることだとか暗黙の了解を敢えて破ろうとすることが素晴らしいことだなどということがあるはずもなく。

エンタの神様 は比較的新しい芸人や埋もれがちな芸人にスポットを当てていて(もちろんそれは純粋な若手救済だとかではなくて、ギャラや話題性も考慮した上でのビジネスなのだろうけれど)、方向性がヒットしたためかパペットマペット、青木さやか、長井秀和、だいたひかるその他多くの出世頭を生み出したことも確かなのだけれど、そろそろある程度芸人を選ぶようなこともした方が良いのではないかと思う。

というか、最低限テレビでやっていいこととやってはいけないこともわきまえていない人間をカメラの前に立たせることが面白いことにつながる、なんてあまりにリスキーな発想だと思うのですが。

7/11 23:49 追記
加納さん から語られてゐる背景を知らないので何がなんだかわからないとの指摘を受けた(というか読み返してみれば明白なんですが)ので、ちょっと追記。

カンニングというお笑いコンビがテレビ的にマズイ発言や行動連発して舞台下ろされた、というのが事の顛末で、それが仕込みだ仕込みでないもう出すなまた出せで賛否両論であるようで。

エンタの神様は生放送ではないので当然事前に編集が入るため、本当にこれが収録上予想していなかった事故ならカットされてカンニングは干される、というのが通常の対応だと思うのだけれど、そうしなかったということはこれが出来レースであるか、見せしめであるか、番組に手持ちの駒がなくて時間の都合上放送せざるを得なかったか、といくつかの選択肢が浮かんでくるかと。いくつかは本当に物凄く可能性が低いけれど。

例えこれがカンニングが意図して作り上げた舞台上の脚本であり番組側が全く予想しなかった事故だとして、それを編集なく放送してしまったことは番組制作者の視聴者に対するサービスの怠慢であり、とにかく暴言を吐くことで強く印象を与える手段を選んだカンニングに対して「それはテレビ的に良くないことだよ」と教育的指導することも放棄していると考えられるわけで。実際彼らの漫談(?)は何一つ面白くなかったし、それどころか舞台から引きずり下ろされるまでずっと不快感を与え続けるようなものだった。観客引いてたし。というか相方(中島忠幸)も引いてたように見えた。

逆にこれが番組制作者が作成した台本通りに進行したことだとしたら、それこそエンタの神様製作者側が批判されるべきことであるように思える。視聴者に対して不快感を与えたことはもちろん、カンニングという芸人がろくでもないことしかできないやつらだという印象を与えたとも言えるからで、話題作りかあるいはインパクトで勝負しようとしたためにカンニングがお茶の間から姿を消える可能性を生み出してしまったとも言える(実際今回のあれやこれやが PTA から文句言われるようなことになったら、カンニングはしばらくテレビには出れないだろうと思う。もともとあまり出てないけど)。これも芸人的にはオイシイんだとしたらまぁいいか、ってことになりかねないけれども。

既存の方法を破壊してそこに新しい境地を見出すこと、それ自体は今までエンタの神様がやってきたことであるし、実際に既存の枠では捉えられなかったであろう芸人らの台頭に一役買いお笑いブームを支えているとも言える。長井秀和やだいたひかる、青木さやかなど一人で毒舌振り撒くなんてのも今ちょっとしたブームになっているわけだし。
ただそこには「方法」に含まれないもっと大きな前提があるわけで、視聴者あるいはスタジオを訪れた観客を笑わせるために舞台に立っている芸人が、その対象者を不快にさせるようなことはプロとして恥ずべきことであるし(芸人側にとっても、製作者側にとっても)、生放送でないならばあの数分は編集して放送せずにいたこともできたはずであって、アバンギャルドなことをするにしても最低限の保証が必要であるのではないだろうか、と思うわけで。インパクトだけで勝負するようなことをしないために芸人を選ぶ必要がある、と。最低限の資質を兼ね備えたという意味で。

波多陽区は売れたけれど木魚叩く某氏はすぐに消えた、ということがただ運が良かった悪かっただけで済むことではないのだろうなぁ、とか。

7/12 0:15 追記
エンタの神様のリンク先間違えてた。

0:17 追記
まだわかりにくいな。エンタの神様の掲示板 でも伏字使われてるし。

カンニングが引きずり下ろされた直接の原因となった(と思われる)行動・発言ってのは、まぁ要するに舞台上で排泄するよとか言い出したわけで。

「お前らゴールデンだから絶対やらないと思ってるだろ!今からここでウンコしてやる!絶対面白いから!見てろよ!(ズボン下ろす)」
「(相方、半分くらいしか写らない)やめろって、脱ぐなって。きばるなって」
「見てろって、絶対面白いから!絶対面白いって!(尻を出してしゃがみ込む)」
「(観客)えー……(明らかに戸惑ってる様子)」
「なんだよ、邪魔するなよ!なんだよそのカンペ!」

カンペ持ったスタッフ二人~三人に両脇を抱えられながら舞台袖へ。司会者アップ。物凄く複雑な表情(CM 明けにも一瞬そんな表情)。

面白いかこれ?

14:13 追記

Other Voices -Poesia

この明白は、指摘の内容が明白なのか、それとも、あとのですがの逆接をふまへて、元のイソムラさんの文章が明白で私の指摘が駄目だといふことなのか、どちらともとれるのです。

暗黙の了解が了解足りえてゐない文章をお書きになつてゐるという点が明白である、という意味でした。端折り過ぎてスミマセン。

カンニングの芸に対して必要以上に憤りを感じたのは、恐らく彼らの元の芸風自体があまり好きではないタイプのものであるだろうということ(今回の件以前に見たことはないので、彼らの芸風がどんなものであるかというのは想像の域を出ませんが)に加えて「お前らゴールデンだから絶対やらないと思ってるだろ!今からここでウンコしてやる!」に対する「そりゃもう芸じゃないだろ」という感情がごちゃごちゃになったんだろうなぁ、と振り返ってみる。

「ひたすら○○をし続ける」というのはある種確立された芸風のひとつであって、例えば笑い飯が区切りなくとにかくボケ続けるというのもそれを踏襲したものであるのだろうけれど(インタビューにも真面目に答えないで叱られるとか)、「ひたすら罵倒し続ける」というのはその中でも一番芸のないことではないかなぁと常々思っていたところであり、特に素人だとか舞台に上がっていない人間に対してとにかく罵倒するというのはワイドショーのコメンテーターがやるようなことであって、じゃワイドショーは面白いのか?というとこれは別の話になるのだけれど、というのは芸人が舞台でそれをやるときには何らかの風刺やユーモアが明確な目的をもって加えられるからであって。

相変わらず悪文だなぁとか言葉足らずだなぁとか。長くなったのでまたそのうちどこかにまとめておきます。歯切れも悪い。

続・コメントスパマー

コメントスパマー というエントリーで「もっと柔軟性のあるコメント残せよ」みたいなことを調子に乗って書いたら、また新手のコメントスパムに遭遇した。「This Blog Is Fantastic. I like it」だそうで、一瞬「あー日本語読めなくても CSS とか見たのかな」などと自惚れも良いところな感想を抱き、よく見たらやっぱり URI 残してるから宣伝かなとか勘繰り、間抜けにもアクセスしてみたらやっぱりというかアダルトサイトだったり。

Movable Type をアップグレードすると半角英数字だけのコメントは禁止できたりするようだけれども、そんな大量にコメント残されるわけでもなく、アップグレードの手間とコメント削除の手間を両天秤にかけると放置という答えに。先見性のない結論。

やられた

コメントスパムなんて大したことないぜへへんなんてなことを言ってたら、やられちゃいました。150 ほどスパムらしきメッセージが大量投下。うわー。頑張って消してきます。バージョンアップするか。

23:00 追記
削除完了。バージョンアップの方法とか確認してきます。

23:32 追記
2.661 にバージョンアップ。半角英数字のみのコメントを弾く という強硬手段に出てみたり(500 エラー出るはず)、MT 3.0 風管理画面 を導入しようとかしてみたり。たまにいじくると楽しい。たまに。テンプレ書き直しとか絶対しないけど。

くたくたになるよ

ゼミという名の親睦会みたいなノリの雑談とたまに専門用語の飛び交う不思議な空間に行ってきましたよ。行ってきましたよっていうか。拘束されてきましたよ。午後四時半つまり十六時半にゼミ開始。隔週でお届けしています。十分の休憩をはさんだ後に訪れる第二波をくぐり抜けた頃にはもう外真っ暗。時計、午後九時二十分つまり二十一時二十分。五時間弱拘束。ウヘァ。

帰りは駅まで十五分ほど後輩の女の子とだらだらしゃべりながら歩いてたんですが、ひとつ下というだけで「ああ若いなぁ若い子だなぁ」とかそういうことを頭に思い浮かべたりするおっさんです。もうおっさんです。二週間くらいしたら誕生日です。よ。

専門用語とか略語とか、たまにだんだんわけがわからなくなってくる。OSCESCE に見えて困った。オスキーと発音するみたいです。押すキー。オゥイェ。

相手の価値と自分の価値

メモ。

QOL だ何だとか言っても医療従事者側だって人間であるわけで、QOML がないがしろにされている状況で良い医療が提供できるわけではありませんよ、と。

医者も人間だとかそういう。

騒動と糾弾と逃亡

そういえば、という程度にしか関わっていない(リアルタイムで経験したわけでもないし人伝に聞いて関連サイト見てまわった程度)ので今さらどうということもないのだけれども。

Other Voices

数年前から有名な騒動だから、誰か「俺は知つてゐるよ」とか言ふのかなと思つてゐたら、案外だれも言はなかつた。

(中略)

さて、このサイトは抹消されるでせうかね。一応お金はらつてゐるので、いきなり消されることはないと思ふけれど。

またしても、というかやっぱり、というか、現状が全然把握できていないのだけれど、結構大人数を巻き込んで騒動起こしたサイトについて言及したサイト(検証サイトというカテゴリ?だとか。たまにランキングサイト関連でどうのと見るけれど検証って何やるんだろう)がごっそり消えてなくなったのだとか。で、言及すると消されてしまうんですか?(結局またよくわかってない状態)

その経緯というか。

で、どこか企業やら団体から圧力がかかってるみたいなことをほのめかす文章なんかを見るのだけれど、真相というか蓋を開けたらどうもそういうことではないらしく。

目的は手段を正当化しない

氏ねよ藻前等からのメールによると、三つの団体からの接触があったそうだ。

  • 神奈川人権センター(解放同盟系)
  • 日本人権擁護連合会(解放同盟系)

あとひとつは名を伏せておく。仮に氏ね氏ね団とでもしておこうか。

氏ねよ藻前等はこの氏ね氏ね団の協力者からの指示を受け、今回の閉鎖騒動を演出した。他の団体とは接触しないようにとも言われている。

氏ねよ藻前等らは「わざと脅すように」行動し、必要以上に事態が深刻であると関係者に触れ回り、それによって多くのブロガーやサイト管理者が大慌てで閉鎖していったのだ。

(中略)

そのあと、氏ねよ藻前等がサイト管理者やブロガーに送った警告メールの内容をある人の協力によって入手する事が出来た。

そこでは、神奈川人権センターがまるで危険な団体であるかのようなことが書かれていた。

俺は氏ねよ藻前等が警告メールに実在する団体の名前を書くような馬鹿だとは思ってなかった。

こいつらは無知による錯誤ではなく、意識的に人権団体を貶めようとしているのだ。

要するに、問題のある人を指して「こいつ問題あるぜ」と声高に叫んだ問題のありそうな人たちがいて、その中でも取り分け問題のあるような人が問題のある行動に出て、結果問題のある人をかばい立てることになりまた新しく誰かに迷惑をかけて、問題のありそうな人たちは自分に問題がありそうなことを知っていたから(気付かされたから)後ろめたい気分になって全員逃亡、というような感じですかね。

以前 オンラインノベルってどうよ? という題名のエントリーで軽く触れたことがあるのだけれど(すっかり忘れてたけど)、また似たような感想を抱く結果にしかならず。「バカばっか」とかしか

13:40 追記
はてなダイアリーのページからキャッシュへ飛べるので少し読み返してみるものの、どうしてこれがそこまで大きな問題になったのかが今ひとつ理解できない(多分、本当はどれほどの問題・騒動になったのかも理解してはいないのだろうけれども)。いち個人サイトで点字がどうのこうの障害者がどうのこうのと差別的な発言を繰り返したところでそれはただそれだけのことであって、つまりその発言主がその程度の人間なのだなぁと、他人の痛みを想像できない上にそのことを公に発言したところで自分の評判が悪くなるだけだということすら想像できないのだと、それだけのことを三つも四つもサイト作ったりで「検証」を謳って、やれここがこれこれこういう理由で法律に抵触する可能性があるだの、ここがこれこれこうこうでモラルが低いことが見て取れるだの、それこそ個々人が脳内で組み立てられることをどうして人前でせっせと積み上げていったのかが今ひとつ理解できない。
子供の頃、探偵ごっこだとか正義の味方ごっこに執心したことを思い出す。

ランキングサイトの管理者としての態度がどうこう、ってのはまだそういう公な話題として必要性を感じるのだけれども。「俺は差別主義者だ!」なんて(酷い日本語)声高に叫んでわざわざログまで公開しているちょっとアレな人に対して「あの人差別主義者なんですってよ」と大して距離も置かず内輪に向けてごにょごにょやりあってるだけ(結局誰が何でどう?ってのがよくわからない。かざきり羽の人があれこれした、ということばかりで)のことがそんなに重要な問題となるような界隈なんですかね。誰かを批判する人間は、常に自分も批判されることを想定しておいた方が良いのでは。

なぜか変換できない

いやまぁ、ネタなんですが。

ネタでやる分には全然構わないんですが(「原因」を「げいいん」とか勘違いしているかのような)、「一応」を「いちよう」とか「一様」とか変換している場面は良く見かける割にネタじゃないことも多いようで。なんだか見てる側がちょっと寂しい気分になったりして。本読む習慣が全然ないのかなとか、誰も教えてはくれなかったのかなとか。

携帯電話の普及によって、辞書機能に依存しきって漢字を覚えられない若者が増えている、なんて記事をもう何年も前に読んだ覚えがありますが、それはそれでまだマシな方なんでしょうかね。少なくともツールがあれば正しい言葉へたどり着けている(可能性が高い)わけで。「対象」「対照」「対称」の誤変換、みたいなことはあるでしょうが、少なくとも「一様」よりは。

携帯電話どうしよう

多分もうすぐ機種変更するのにちょうど良さげな時候なのだけれど。

なんかもう、新型ストレート携帯の出現は望むべくもないようなそういう状況ですか。ドコモからストレートで小さいやつが出ていたような気がするけど。Vodafone なんですよ。なんですよっていうか。P51 なんですよ。なんですよっていうかね。携帯電話製品一覧 にある二十一機種のうちひとつだけですよ。ストレート型。絶滅危惧種ですよ。

携帯電話は折りたたみ型一色に?

しかし世の中の端末がこれだけ折りたたみばかりになると,逆にストレートタイプの利点も目立ってくる。“軽量”でカバンなどにも収まりがよく,可動部がないためシンプルで丈夫。背面液晶などつけなくてもディスプレイの確認も容易だ。「C409CA」のような防水型や,「C405SA」のような超薄型などの付加価値も付けやすいし,デザイン上の自由度もストレート型のほうが上。

ストレート型のファンも確実に存在する。バランスの取れた端末バリエーションの増加を期待したい。

なかったことになりそうな勢いです。その利点。ストレート新機種出ませんか。すぐ乗り換えるのに。

ランキングと不正

割と大手のリンク集らしく、四月にリニューアルされていろんな機能が追加された。その際に再登録させていただいて、たまに面白いサイトがないかとうろついたりするのだけれど。

以前は登録型のごく普通のリンク集だった(と思う)のだけれど、XOOPS によって再構築されてから多機能化。ユーザごとに情報を登録し、サイトの登録やフォーラム(掲示板)への投稿の際にはログインが必要となり、また現在誰がログインしているか、どのコンテンツを参照しているか、がリアルタイムで反映されるようになっている。リンク集としてはもちろん、コミュニティとして強化された感がある。

と持ち上げてはみるけれど。

登録されたサイトへの OUT が集計できて、しかもサイトの評価ができる(要ログイン)ことで二重にランク付けができる点は面白いと思うのだけれど(要するに紹介文が面白くてただヒットを稼いでいるだけなのか、本当に中身が良いことが人伝に伝わっているような状況なのかが判断できるかも知れないということ)、ランキングサイトとしての、やはりというか本質的な問題というか、防げない問題はやはり防げていないようで、つまり不正のことなのだけれど。

クリエイターリンク集 はカテゴリ分けされ詳細に分類されている他、OUT 数の高い登録サイトをカテゴリ別に表示する 人気ランク、十点満点(平均値のための小数点以下あり)で評価の高い登録サイトをカテゴリ別に表示する 高評価ランク が用意されている。後者には投票数も表示されているので(評価そのものは全投票を平均化したもの)、どれだけ多数に評価を受けかつ高いものであるかを確認できる、つまりどれだけ質が高いことが確からしいかをおおよそ一目で確認できる(物理みたいな言い回しだ)。

で、先ほどこの高評価ランクを眺めていたら、評価数が同カテゴリの他サイトより三倍近くあり、しかも評価が 10.0 という驚異的な(つまり全員が 10.0 と評価した)サイトをみつけた。訪問者が思わず評価を入れたくなる上にそれが満点だなんてどんな質のサイトなんだろうと登録情報を見てみたら、「不正投票は禁止されています、登録を削除します」と赤く大きな文字が。物凄い晒され状態で思わず吹き出した。

不正投票や不正ナントカはランキングサイトの常とはいえ、FAQ でもやんわりと諭されているようなことに考えが回らない人の後を絶たないことには残念な気分にさせられる。おそらく掲示板などへの宣伝絨毯爆撃もこれと似たような動機なのだろうけれど、ただカウンタが回るようなだけのことの何が嬉しいのかよくわからない。カウンタが回ることで中身に興味を持たれる機会が増えることは想像しやすいけれど、だからといって中身が認められるかどうかは全然別の話であって。当然のことなのだけれど。だから評価を高く見せるような不正を行ったのだろう、と思うかも知れないが、それだって結果的には同じこと。結局誰もその中身を認めてはいないだろうし、無駄に人寄せになっているだけ(なっていないかも知れない)であって。

と長々と書いたけれど、そんなことは誰でもわかっていることだろう、とか。一時的な晒し状態から登録削除のコンボがそういう不正行為を減らすような歯止めになればいいですね、と。公正な評価が増えれば不正な評価の効果が薄れ、本当に質の高いサイトが高く評価されて知名度を上げる効果もあるのでぜひ活発に投票とかしてください(宣伝)。

orz

何をしてるんですか。

発音

L と R が異なる発音をするように、D と Z から表記される音節も別の発音をすると思うのですよ。日本語のローマ字表記においても例外なく。「づ」は「DU」、「ず」は「ZU」と表記したりしますが、「づ」は舌を上顎内部に一度くっつける感じで、「ず」はそれをしない感じ、つまり「DU」は「LU」と同様に、「ZU」は「RU」と同様に(かなり違いますが)発音して無意識のうちに区別しているのではないかと思うのです。

で、「は」と「わ」にも違いがあると思うのです。直感的に。「わたしは」の「わ」と「は」は同じ音であるとされますが、無意識下で発音に差を作っているように思えるのです。「わ」より「は」は軽く発音する感じです。感覚論を文章にしようとするとろくなことにならないとか思い始めてます。

で、これらのことを踏まえて最終的に何が言いたいかというと、例えば「財布は落とすわ犬に噛まれるわで散々だった」という文章があったとします。これを「財布は落とす犬に噛まれるで散々だった」と表記する方をたまに見かけますが、これは頭の中で発音するととても気持ち悪い感じになるんじゃないかなぁということです。

というか文法的に突き詰めればもっと整然とした説明ができるのでしょうが、直感的な動機に基づいてエントリーを書き始めるようなだらけた頭でそれをすることは難しいのです。無気力です。眠い中思い付きで何か書こうと要らんことするわけです。ダメ。

暑さ → イライラ

イライラ。クリックすると花が咲くらしいですよ。できると。

不毛な議論

blomemo 経由。

不毛な議論を避けるために

winny、イラク人質、ネバダ、拉致家族、参院選など、代わる代わる問題が出てきて、そのつど議論(というか意見表明)が行われてきたけど、だいたいが相手の意見の論理矛盾を突く「論破志向」や、なにかしら正義を基準として相手の不正義を突く「正義志向」、そしてその複合型などが論法の主だったように思う。しかし、論破したところで相手の意見が変わるわけでもなく、正義をぶったところで逆に相手から不正義の烙印を押されたりと、結局、意見は集約されることなく対立したまま共存し、そしてそのまま意見自体が忘れられていくと、いうようなパターン。つまるところ、意見というものは集約されるものなのではなく、複数の答えが、同時に成立している状態が普通なのではないかと。だから、意見そのものの内容をみるよりは、なぜそのような意見を発したのかという、相手のスタンスの在り方を理解したほうが、乱立する意見に一喜一憂しないためにも有意義なのではないかなあ、とエラそうな主張。

視点の違いといえばそれで済むのかも知れないけれど、スタート地点が少しズレているようにも思える(アホみたいに引用が長いのには目をつぶってください)。

相手の論理の矛盾を指摘する(突く?)ことが相手を論破するための手段であるかのように述べられているけれど、そもそも穴だらけの論理で何かを主張するような連中は議論だの何だのの土俵に上がってすらいない状態なわけで、例えばその状態で結論を決定付けて他者に押し付けるような態度をとれば「お前の言ってることはおかしいじゃないか」と突っ込まれることはごく当たり前のことであるのでは。黙殺されるなんてことに比べたら余程マシな対応だと思います。

正義云々というのがどのような状況を指しているのか具体的な例が挙げられていないため憶測だったりしますが、基準となるような正義が存在するのであれば(それが確かに正義と呼ばれるにふさわしいものであるなら)、また相手がその正義から明らかに反しているのであればそれは「お前は人道的に良くないこと言ってるぞ」なんて言われるのもまたごく当たり前のことであって。

というか、議論というものは意見を集約させるために行うものなのでしょうかね。十人十色なんて古典的な諺を持ち出すまでもなく他人は他人の考えを持っていることは物凄く当たり前のことであって、自分と違う意見に対してわざわざ一喜一憂するような連中がのさばる現状に問題があるかどうか?はともかく、「そもそも意見は集約されるべきではないのではないか?」なんて別に新発見でも何でもないように思うのですが。それを認識できない発達段階というのはせいぜい十五歳くらいまでであって、けれどそれを達成できない方々がネットで熱弁振るってる現状がどうか?はともかく(以下際限なく続くので割愛)。

7/21 18:15 追記

まあなんといふか

そもそもおてもん氏が浅薄極まる思考をしてゐることは、「客観なんてクソ食らえ!主観重視の時代です。」なんていふ一文を見れば容易に想像できる。或は、「そういうあなたはナニサマなのかと問いたい」といふ「問い」を発するおれもん氏は「ナニサマ」の類に入らないらしい。

(中略)

だから私は、イソムラ氏の文章を皮肉として読んだが如何。

恐らくこのような言及をするエントリー(記事でも文書でも何でも良いんですが)の存在自体が皮肉になるんでしょうね。おてもん氏のサイトに掲げられている標語のようなものはおそらく「他人の目を気にしてやりたいことをやれないのは勿体ないぞ☆」といった類のことを言おうとしてうっかり、というものなのだろうと好意的に(?)解釈するとしても、自身の論理に矛盾や穴があることを気付かずに、その上物事の法則性であるとか傾向を分析するだとかをしてしまうというのは(更に手厳しく言うなら、それを悪いことであるかのように同一文書内で言及するということは)、良く言えば「医者の不養生」であって、ぶっちゃけ「どんぐりの背比べ」と変わらないものであって。いやこの表現は違うか。

ともかく、穴を指摘する人を穴のある理論でもって「不毛な連中」と定義づけるこの文書は、穴があることを著者自身が気付かない・気付けないまま(もちろん著者に穴が空いている故に)再度土俵に上がるかのような流れを見せるという点で、「穴を指摘する人」にとって頭痛の種であるか、あるいは、穴を指摘することの真意がどれほどに伝えたい相手に伝わらないかを如実に示す、という点で皮肉であるともいえるかも知れません。

無意識のうちに皮肉る結果になるというのは何だか虚しい気分にしかなりませんが。

見逃すべきか

蚊はつぶさない方が賢明? 病原体が体内に入り死亡

 【ワシントン19日共同】体にとまった蚊はぴしゃりとたたくより振り払う方が賢明かも-。米アルバート・アインシュタイン医大の医師らがこのほど、足にとまった蚊をつぶした際に、蚊の病原体が体内に入って死亡した患者の例を米医学誌に報告、注意を呼び掛けた。
 患者は2002年に死亡した女性=当時(57)=で、蚊に寄生する「微胞子虫」の一種が左足の筋肉の中に入り、呼吸不全のほか脳梗塞(こうそく)などの症状を起こした。蚊が血を吸っている最中に女性が蚊をつぶしたため、蚊が吸った傷口から病原体が体内に入ったと、医師らはみている。

だからといって黙って吸われているのも癪だ。体から離れたところを狙って全身全霊全力を込めて叩き潰すというのが最良の策であるように思われるけれど、結局刺されて痒いし、叩き潰した手のひらに自分の血が付くのも何だか嬉しいことではないし。やはりここは蚊の根絶運動を世に働きかけていくしか。

どこだったか失念したけれど、ボウフラが自宅の庭から検出されたら罰金を取られてしまうなんて法律のある国があったような。蚊は地域によっては伝染病を媒介したりするからそれに対しての規則かも知れないけれど、現状人間にとって百害あって一利もない(多分)昆虫であるから、もうちょっと都心部から排除していくようなムーヴメントが巻き起こったりはしないだろうか。しないかな。しないか。

価値のある言及(対象)

つい先ほど 不毛な議論 というエントリーに追記を設けて、おてもん氏が主張することはおてもん氏自身を否定するという結果を招きかねないことにご本人は気付いていらっしゃらないのだろうなぁというようなことを額に汗しながら(暑いからね)考えてみたりしたのだけれど、氏の主張する「言及の方法はもっと手段を選ぼう」という主張(と解釈しました。相手のスタンスの在り方を理解したほうが、乱立する意見に一喜一憂しないためにも有意義周辺より)がどうであるとかを考える以前に吟味するべきことがあるのだということを強く実感っていうか。っていうか。

あー。なんていうか。氏は議論というものを相手をいかに負かせて服従させるか、そのためのツールであるという価値観を根底に抱えているかのような文章をお書きになるけれど、早速自身の主張の正確さを検証するために、以前の文書で書かれた手段でもって他所のブログを批判されているそのバイタリティには頭が下がる思いです。

皮肉だけに終始すると後で読み返したときに自分でもわからない文章になるので具体的に言及するならば、なにかしら正義を基準として相手の不正義を突く、つまり自身の価値観を正常なものとして相手方の行動や思想やその結果を不適切なものであると一方的に断じることであると解釈することのできるこの方法ですが、この人が問題なのは、この人の心の中の実験室を世界全体に広げてしまっているというのは氏の価値観や思想に強く依存する(要するにこの文書だけでは他者を納得させ得る批判の根拠にはなり得ない、というような)ものであって、つまり自分のそういった価値観を基準として相手を問題視するという、えーと、まぁそういうことなんですが。

という指摘は相手の意見の論理矛盾を突く「論破志向」であって不毛な議論であるよ、ということかも知れませんが、そのようなカテゴライズに全く意味がないことと自分で掘った落とし穴に自分から飛び込んでいることに気付くべきではないかなぁとか、まぁぶっちゃけ俺様ルールを公開するならそれは守った方がいいんじゃないかなぁとか。

最後になりましたが、ワタクシは論破することによっておてもん氏を改宗させて自身よりも低い位置に定義づけよう、とかそういう意志からこのような文章を書いたものではないということを明記。

20:23 追記

最後の一文(論破することによっておてもん氏を改宗させ~)は「私はこの意見を発信するけれど、それが相手方の思想や意見に全く影響を及ぼさないことを期待するよ(影響を及ぼすことを全く期待しないよ)」といった類のものではなく、議論が勝敗優劣を定めるためのツールであるかのように捉えるおてもん氏の解釈に対して「『私の意見を最後まで貫き通して相手方もそれに染めてみせるよ』という考えを放棄しているよ」という意思表明であり、恐らく西部氏のおっしゃる相対主義的な考えとは若干違う立場ではないかなぁと自己分析します。

とはいってもそれ自体、相手の発言や意図を全く汲まずに自分の意見だけ述べているわけだから、相対主義者であるというのも間違ってはいないのか。議論というのはどちらかが勝ちどちらかが負け、相殺したり混在することなくオールオアナッシングで誰かの意見が通る、というような解釈も生産性の悪い言葉遊びだなどと思いつつ、最初から受け流すつもりで相手の目の前に立つことも(相手のスタンスの在り方を理解することに繋がる?)思ったより失礼なことであるなぁ、とか。

というやり取りが言及先の記事作成者に知れることなく展開されるということもなかなかオツなものであるなぁ、とか。

20:34 追記

失礼なことかも知れないけれどただの連想ゲームだと思って書いておくことに。「おてもん氏」と書こうとすると一瞬「おてもやん 氏」と脳内処理してしまう。人知れずネタ生産する脳だとか考えると気持ち悪い。

切り替えを考える

とても些細な問題であるし容易に解決する方法があるのかも知れないけれど、というか注意深く入力すればよいだけの話であるのだけれど、同音意義(同音意義?同音異義? と一瞬迷う)語に悩まされることの多い昨今。例えば英語論文の翻訳やレポートを Word などのソフトウェアで入力する際には比較的固い文章を書くことが多いのだけれど、ネットで文章を書くだとかそういう状況においては軟化しきった頭で生み出されたかのようなゴミ文章を排出することが多い。その差に思いっきり影響を受けているのが IME だったりする。

Windows に標準装備されている MS-IME は、同音意義語を変換する際に優先順位をつけているような挙動を取る(といっても最後に選択された変換を最優先しているような気もする、程度の認識だったり。詳しい仕様はよく知らない)。これが必死にレポートを書いた後には論文仕様とでも呼ぶべき単語の選択をデフォルトとした状態になっているので、変換と決定を何も考えず繰り返すと奇妙な文章を生み出すことが多々ある。だったら注意して入力しろよ、というのはごもっともな意見であり、自分でもわかっているのだけれどゴミ文章モードではそのような注意力も酷く低下している。

例えば「可能」と変換するために「かのう」と入力し、変換キー(スペースキーを使用)を押して何も考えず即座に決定キー(エンターキーを使用)を押すと「化膿」と表示されたりする。「それが化膿であるかどうかよく吟味するべきだ」とか、とても吟味したくない文章に変換される。これくらい学術的な雰囲気を持つ単語であればまだ救いはあるのだけれど、「至急」と変換しようとして「しきゅう」と入力し「子宮」と変換されたときなどはもう目もあてられない。「大子宮よろしく」なんて発言した日には自分の知性だとかを根源から疑うことになるだろうし(またこういうときに限っていつも「大至急」と繋がっている単語が「だい」と「しきゅう」に分かれていたりする)、掲示板やこのような文書なら推敲の余地もあるものの、チャットや IM などでこんなミスを犯した日にはどうしようもない。ド変態が、などと罵られて理由を述べても、誤変換のせいにするな、などと言われてはもう返す言葉もない。

このような状況を打破するために IME ソフトに「真面目モード」「自堕落モード」などボタンひとつで切り替えられる機能があったりすると便利だなぁなどと思うのだけれど、そこらへんどうなんでしょうか。あるのかな。探してみるか。

叱責の方法

昼下がりに駅前の比較的大きな交差点で信号待ちをしていたら、右折待ちのパトカーがスピーカーを使って「二人乗りをやめなさい、危ない」と注意を促した。周囲を見渡してみたら、二人乗りの自転車(中学生くらい)が横断歩道を渡っているところだった。まぁこの年代はあまり気にしないだろうなぁと思っていたら案の定、そのままパトカーの目の前を横切って行って、ああお巡りさんも大変だなぁなどと思っていたら突然「君は耳が聞こえんのか!」とスピーカーから大声が響いたものだから、周囲の人から注目の視線がそのパトカーへ集まったりしたのだけれど。

もちろんこの警官は「耳が聞こえないから注意を聞き入れることができないのか」と皮肉ったつもりなのだろうけれど、公僕などと称される警察官がこんな表現で叱りつけるのはどうだろう、と思わないでもない。意地の悪い見方をすれば、「耳の聞こえない人は注意を聞き入れないんですか」とか「注意を聞き入れない人は耳が聞こえないんですか」などと差別的表現であるかのように追及することもできるだろうし、もし本当に彼らが聴覚に何らかの障害を持っていたのだとしたら、この警官の発言はどのような意味を持つことになるのだろう、と考えると、それはもう市民団体が騒ぐようなことにだってなり得るわけで。

後の叱責に反応してパトカーを見たから多分、彼らはちゃんと先の叱責も聞こえていたのだろうけれど、どちらにしろ警官はこのような表現をするべきではなかった。注意を聞き入れられない・ルールを守れないのは頭が悪い(かも知れない)ことに原因があるのであって(そうでなければ何かしら信念を持っているのだろうけれど)、注意を聞き入れられないそのことを耳が聞こえないなどと皮肉ったこの発言は、耳が聞こえないことに原因がありしかもそれを叱責しているかのような印象を与えることにもなるだろうと思われる。叱責に対する態度に叱責するべきではない、とも言えるのかも知れないけれど。

というのとは関係ないけれど、自転車の二人乗りはどういう理由から禁止されているんだろう。二人乗り用に設計されていない、というのも大きいのだろうけれど、荷台に 50kg の自分でバランスを取る荷物が積まれている、という見方をするのは全くダメなんだろうか。

バカ画像

ダンスダンスレボリューション。

夏祭りらしい

今日も暑いですねっていうかほとんど家にいたからあまり関係ないんだけど、家のすぐ近くの通りで夏祭りめいたことを開催しているようで、とまるで今気付いたことのように書いたけれど昨日の夜も何か騒がしかったから知ってはいたんだけれど、せめて午後九時過ぎたらボリュームというかテンションというかあわよくばその両方をトーンダウンさせることによって近隣住民の安息を図って欲しいのだけれど、いやでも地域の活性化ということを考えると決して悪いことじゃないかなとか、どうせ普段から近くの緊急病院行き救急車がそれなりに音を出してもいるのだからまぁいいかとか、そういう。

で、どんなもんだろうという野次馬根性でちょっと覗きに行ったら、通りを埋め尽くすほどの人が。普段はどこか薄暗い湿ったところで隠れているのだろうけれど、夜になったため羽を伸ばしにあちこち出回っているらしい。彼らの生態はいまだ謎に包まれている部分が多く、この時期活発に活動するのは生殖のためであるとも言われているが定かではない。今後ますます研究に注目が集まる分野であると言って良いだろう。ここまで嘘。

結構飾り付けやら何やらも大掛かりで、まさに一大イベントであるかのような雰囲気だった。近所の中学生が描いた(想像)飾り布が吊り下げられていたり、どこかの NPO が無料相談所を設置していたり、スーパーボールすくいやスピードくじなどお馴染みのアトラクションが開催されていたり、ルーレットの景品がクワガタだったり、通りの角でカキ氷を食べながらわけありの様子な女子高生(推測)がいたり、運営委員みたいな人が携帯電話の落とし主を探していたり、商店街主催のバーゲンセール人が群がっていたり、ルーレットの景品がクワガタだったりした。していた。浴衣の綺麗なお姉さんはあまりいなかった。残念。浴衣でない綺麗なお姉さんはちらほらいた。目の保養。

何か美味しそうな匂いがしたけれどどこに何があるのかさっぱりわからなかったので、普通にマクドナルドへ行ってダブルチーズバーガーを食べた。外に出たら人が増えていた。無法地帯だなと思った。

全然関係ないけど、携帯電話に強力なメールフィルタが付くといいと思った。スパムメールが増えているので。全然関係ないけど。

やる気の方向性 → 間違い

本当はやることがこれでもかというくらいにあって、それをひとつひとつ地道にでも取り掛かってやっつけていくべき身分というかまぁそれほど大したものでもないのだけれど、やらなきゃいけないことをやらなければ当然どこかでしわ寄せを喰うことになるし、あまりそれは嬉しくないのでやる気を出してみようかということになった。で、やる気をちょっと出して Gimp をインストールしてみた。ぶっちゃけ、やらなきゃいけないことリストからは物凄い勢いで戦力外通告されているような項目なのだけれど、全ての道はローマに通じるみたいなものを感じたということにしておく。

で、インストールしてみたのだけれど、もともと対象 OS が UNIX や Linux ということもあって(多分)、へなちょこ Win ユーザが何もかも独力で片付けるにはちょっと敷居が高いというか、はじめてのおつかいを気持ち三回くらい繰り返すほどやり慣れない作業を必要とするというか。まぁともかくやってみようかということで、手順を知るために Google で「Win Gimp」とかで検索してみる。するとどうだろう、Win 用にパッケージ化して配布しているというサイトがあった(TheGimp)。楽な選択肢があると容易にそちらへ流れ込む気質をフルに活かし、破竹の勢いでダウンロード。ついでにブラシとかフォントとか追加データもダウンロード。こりゃ便利だわい、と悪人面の役人の顔が目に浮かんだ。よくわからないけど。

で、インストールしてみた。二分で全部終わった。

使ってみた。以前に KNOPPIX で Gimp 2.0 動かしたときとは比較にならないほど軽快に動いてくれて、というかそれはメモリやドライブの性能上当たり前のことなのだけれど、言うなれば高校生アスリート(Gimp) vs うさぎ跳びオリンピックメダリスト(Gimp 2.0)みたいな、もう比べる枠が違うために程度の差などどこ吹く風というか、話を戻すとさくさく動いてそれはそれは良かった。ご満悦です。で、設定とかいじってみようとツールをあれやこれやするのだけれど、早速いくつか不満というか。

チェックボックスがわかりにくい
押下されているのかいないのか、生粋の Win ユーザには見分けがほとんどつかない。何せ Win ユーザはビル・ゲイツの商業的戦略によって「OK」と「キャンセル」を読まずにボタンを押してしまうほど視覚的判断を必要としないデフォルトスタイルに飼いならされているためである。飼い殺し。
パレットが表示されない
どこで色選択をすればいいのか、これも前述の理由によってわかりづらい。実際は選択されている色をダブルクリックとかすれば表示されて色選択ができるのだけれど、それでも色を並べてあれにしようかこれにしようか、塗ってみたけどこっちがいいかな、なんてことをできないというのは少し寂しい。
文字ツールが使いにくい
一度に一行しか入力できないのは仕様らしい(Gimp 2.0 では修正)けれど、そこを大目に見るとしても何となく洗練されていない。というか、どんどん新規で選択範囲作ったりしてちょっと焦った。

というような点が挙げられるのだけれど、既に問題のほとんどは Gimp 2.0 にフィードバックされているだろうし、何よりヘルプやドキュメントといった類のものを一切読まずに手を出しているため、使いにくいだとかわかりにくいだとかは当然のことなのである。安定版とはいえ開発が次の段階に移行しているソフトウェアをひっつかまえて、やれあれがどうだのこれがどうだの管を巻くのは実にくだらないことである。ではどうしてこのようなくだらないことをわざわざ文書化しているのかというと、冒頭で述べたやらなきゃいけないことリストが精神的に物凄い圧迫感を伴って顕在化してくることから逃げ出すために、何かしら形に残すことでそれから逃れるという適応行動を試みた、ということであると思って欲しい。結果大失敗であって、この文書を書き終えようという今現在、圧迫感に伴い後悔が自責の念となって我が身を襲っており、これから逃れるためにひとまず寝ようと思う。おやすみなさい。

病気の定義

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「症状」は何らかの(普通は、異常が)原因で起こった現象、状態のことで、「熱中症」とか「脱水症状」とか「虹彩異色症」とかいうのは単に表面的に見える状態に付けられた名前に過ぎない。「症候群」は、いくつかの症状が重なった特殊な症状だ。その症状が医学的に認められて初めて「病気」となる。「病気」は原因と症状のセットで扱われることが多いが、原因不明で症状だけが分かっているというものもある。また、特に生活に支障がなくても「病気」として認められているものもあれば、日常生活に大いに支障をきたしているのに「病気」と認められていないものもある。

なんとなく引っかかる表現だったので検索してみる(文献とか引っ張りださないのは当然面倒だからです)。

例えば AIDS(後天性免疫不全症候群)は HIV(ヒト免疫不全ウィルス)によって引き起こされる「病気」だと認知されているけれど、名前そのものに「病気」とは明記されず「症候群」と呼ばれる(直接死因となるのがカリニ肺炎だとかカポジ肉腫であって、AIDS は免疫不全という状態を引き起こすだけ、と言えば確かにそうなんですが)。あるいは先天性の遺伝子異常なんかも(ダウン症とか)原因・症状がはっきりしていても「病気」と呼ばれないこともあったり。また、白血病など原因が定かではないのに「病気」とされるものもあるわけで。一概に「原因不明だからこれは病気じゃないし、原因も症状も確定してるからこれは病気」であるとは言えないと思います。

4:26 追記
生活に支障がないことが他者からの客観的な判断に拠ることはとても多いので、動作や活動に制限が加えられずとも本人が心的負担を(誰にも言えないまま)抱えていることも少なくはなく、例えばそれはただ「医学的に確定診断が自分につけられている」というだけで性格変わるほどストレス抱える人もいるわけで。鬱の件もしかりで、病名だとか疾患だとかにこだわる前に、本来見るべきところがあるわけで。と、ふと思った。

魅惑の三文字

意外に人気。

十八歳未満お断り

スポニチアネックス から 中島らもの訃報 を読んでいたら、広告が気になった。

大人のためのRPG『A3』登場!

日本初の大人向け(18歳以下はプレイ不可)のドラマティック・オンラインゲーム「A3」が、正式サービスを前にもかかわらず、既に30代を中心に熱い注目を集めている。

(中略)

平和な世界ではなく、モンスターが暴れ、国の君主"トール"を目指し騎士団と言う英雄達が集まってできたコミュニティが群雄割拠する混乱の世。裏切りなどの人間のエゴから来る複雑な心理が、現実世界さながらに繰り広げられる。そこがR-18の所以でもある。

引用元がテキストすら画像化されてて辟易したとかはさておき、これがどうして R-18 指定なのか今ひとつ理由がわからない。レンダリングされたキャラクターが微妙に艶かしい質感だからだとか、キャラクター紹介デモムービー にセミヌード的な要因すら取り入れられているようなことが理由(つまり性的描写を含むだとか)かと思えばどうやらそうでもないらしい。今時水着程度の露出コスチュームで年齢制限設けることなんてないだろうし。

で、前述の広告によれば、それはどうやらファンタジーし切れていないあまり良くない意味でのリアルさがそのような制限を設けるに至った理由である、というようなことが書かれているのだけれど、この理由でのゾーニングだとか呼ばれる行為はどうだろう。現実世界でも繰り広げられていることがゲーム内で繰り広げられるから十八歳以下はダメですよ、というのなら、同じように臭い物に蓋的原理で現実に対しても何かしら対策が必要だよ、ということにはならないのだろうか。それともゲームの世界は理想の具現であるから、そのような生々しいリアルさは(十八歳以下にとっては)あってはならないものだとされてしまうのだろうか。例えそのような基準を設け遮断したとして、ゲームそのものが魅力的であれば対象者以外の誰かもどうにかしてここへ潜り込もうとするのではないだろうか。ゾーニングの正当な評価と必要性を省みるべきであるといえる。

などと息巻いているポーズを見せるのだけれど、玉置勉強氏が 上述の段落を要約した文章 から しゃべり場 へのアンカーを貼っているのがイカしてるなぁなどと頭の悪い動機に基づいた模倣でしかないわけで、サービス提供者が「これは十八歳以下には提供しませんよ」と言ったら(そういう設定に基づいたただの娯楽である以上)外から「これは子供にもプレイさせるべきだ」などと茶々を入れることはナンセンスだなぁと思う次第であって。

玉置氏のサイトは R-18 であるので十八歳未満は(以下略)。

ファミコンデータベース

懐かしすぎる。

スーパーマリオブラザーズって意外に後発なんですねっていうか。あまりに懐かしいのでついつい我が家にあったソフトのリストアップなど試みてみたりするとか。

1983
  • ドンキーコング
  • マリオブラザーズ
1984
  • ピンボール
  • ワイルドガンマン
  • ダックハント
  • ホーガンズアレイ
  • ロードランナー
  • ギャラクシアン
1985
  • チャンピオンシップロードランナー
  • レッキングクルー
  • スーパーマリオブラザーズ
  • ポートピア連続殺人事件
1986
  • タッグチームプロレスリング
  • アーガス
  • ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境
  • グラディウス
  • ドラゴンクエスト
1987
  • デジタルデビル物語 女神転生
  • 井出洋介名人の実戦麻雀
  • ウルティマ 恐怖のエクソダス
  • ファイナルファンタジー
  • 目指せパチプロ パチ夫くん
1988
  • ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
  • 究極ハリキリスタジアム
  • 半熟英雄
  • ロックマン 2 ドクター・ワイリーの謎
1989
  • シャドウゲイト
  • クインティ
  • バットマン
1990
  • ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
  • 魍魎戦記摩陀羅
  • 探偵神宮寺三郎 時の過ぎゆくままに…
  • ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
1991
  • メタルマックス
  • くにおくんの時代劇だよ全員集合!

後々郷愁にかられて買ったもの(女神転生とか)はあるものの、リアルタイムでウルティマ体験してたりしたのは大きかったんだろうなぁとか。っていうか当時五歳ですよ。こんなものを買い与えていた親に感謝してやまないとか。