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お金を使った結果を上手に使いたい

もう六月ですね。

随分昔(多分三ヶ月~半年くらい前)に買ったスキャナが部屋の隅でホコリをかぶる一方なので何か面白いことに使えないものかといろいろスキャンしてみることにしました。新しくスタイルシートでも作るかなどという感じの意気込みであるようにも思われます。

忙しくなればなるほどそういう方向へ逃避する。繰り返し。

あ、いいです

誰もが恐らく一度は口にしたことがあるであろう言葉。「あ、いいです」。これがなかなか不思議というか。

国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書

1

(感)

(1)軽い驚きや感動などを表す語。また、何かを思いついたときに発する語。あっ。
「―、そうか」「―、思い出した」

(2)人に呼びかける語。
「―、君、君」

(3)人の呼びかけに答える語。はい。
「ただ―と、ことうけをしゐたり/古本説話 67」

つまり、誰かから予想だにしなかったような問いかけをされたときなどに発言の頭に自然とくっつく言葉だと解釈すれば良いわけですが。しかしこれがまた妙な話で、例えば以下のような場面を思い浮かべていただきたい。

「二点で百八十五円になります。袋はどうされますか?」
「あ、いいです」

賢明な皆様方にはこれがスーパーあるいはコンビニエンスストアのレジでの会話であることが十分に推察可能であると考えられることから極力無駄を省いた文章となりましたが、この文章において「あ、いいです」が前述のそれとは全く違う働きをしていることも容易に推察ができるかと思われます。

昨今の梱包単純化であるところのレジ袋不要みたいなニュアンスの一連の流れからして、購買者は物量の少ない買い物において「袋はどうされますか(必要ですか)?」と聞かれることはほぼ確実であることが予想されるわけで、予想される問いかけに対してたった今気付き反応したかのような「あ、いいです」とはちょっと妙ではないか?と、そういうことです。この場合の「あ」は感嘆ではなくもっと社会的生物として間を重要視する人間の深層心理を無知であるかのように装うことで体裁よく表現するとかそういう。書くの面倒くさくなってきた。割愛。

素晴らしき日常

実習先の訪問看護ステーションに今時の美人でスーツで名古屋巻きの綺麗なお姉さんが現れて何やら機械を持ち出したものだから「最近の医療機器メーカーは綺麗なお姉さんを雇ってるんだなぁ」とか思ってたらコーヒーか何かの機械でそういう会社の社員さんみたいでした。そんな文化的視点から見ても余裕のある場所で実習をしています。

気だるい午後を記録書き用に割り当てられた部屋で学生四人 + 教員一人で篭ってひたすらに記録書いてたらいつの間にか皆居眠りを始めていてどうやら一時間半くらい何事もなく経過していたようです。そんな精神的に余裕のあるグループで実習をしています。

全然関係ないことだけれど、偶然にも自分が「先に発言できる」ことから全てにおいて優位に立っているし他人の意見を問答無用で否定することができるし稚拙な文章でさえも誰にも文句を言われるべきものではなくなるという思いから他人を自分より程度が低いのだと格付けに必死になるような感じの人の記事 を読みました(undercooled 経由)。で、大好きなこの文章を思い出しました。

虚構日記 Es-7 夢の終わり

本当の言葉を書くためにはな、世界と人間を理解しなきゃダメなんだよ。少なくとも、世界と人間を理解しようと思わなきゃなんねえんだよ。それを、さかしげに人類史や世界や、そういった巨大な流れから切り離された個人の感情だけで言葉を語りやがって。俺たちゃ、お互いみんな違うように見える。けど、少し踏み込んだら、みんな同じなんだ。そして、もう一つその奥では、やっぱり全然違うんだよ、俺たちは。この人間理解の道程をもたどらず、最初に感じる世界への違和感にだけ拘泥した愚かしさで、誰か自分以外の人間に届いてしまうかもしれないここで、言葉を吐こうなんて少しでも思うんじゃねえ!

ともかく、日常はいろんな素敵なことが溢れているとかそういうことです。

ツールを探す

思ったことをすぐに文章にできたらどんなに幸せだろうか。創作とか小説とかそういう感じのアレを書いている身としては、思いついたものをすぐにどこかへ何らかの形で記しておくことはネタ忘れ防止の役割を果たしかつネタの熟成期間を安心して過ごせる安心感を得られかつ飽きっぽい僕でも簡単に三ヶ国語をマスターできかつおかげで今ではモテモテ周囲にも一目置かれる存在となり何と憧れの彼女から積極的なアプローチ!ありがとう何かのツール!みたいな未来が待っていないと言えなくもない。言えないかも知れない。否定はできない。けれど言いたい。そんな幸せな未来が待っていると信じたい。そんなささやかな幸せを夢見ていたあの頃に戻りたい。

深夜はもう指が勝手に動く病気というか。そういう。

で、以前アウトラインプロセッサであるところの Story Editor なるものにいたく感激していた感動閾値の低いダメ人間ですが、如何せんこの手のソフトというものはややこしいという。アウトラインだかプロットだか荒筋だかを考えるときに既に起承転結やら登場人物の細かい設定が出来上がっていたらもう書き始めるっての、みたいな。要するに相性がちょっと合わないので別のツールを探してみるよ、と。

で、何故か縦書きに惹かれてみる。

早速試用してみようかと思ったもののこれじゃ縦書きツールを探していたみたいな根本的部分に変化が生じてしまう恐れがあるのでぐっと堪える。何事もじっと我慢の子が合言葉。

そもそもどういう機能が欲しいかを考えると、メモ帳に書きなぐるみたいに無心にタイピングできるだとか、付箋紙に書くみたいにこれをあっちへあれをこっちへとかできたり、それを線で結んでそこに何かしら書き足したりだとか、そういうことがしたいのだけれど、これってスケッチブックとか使った方が良さそうですか。というか Story Editor 使いやすいね。頭悪そうな発言ばっかり繰り返して元の鞘へ。

何かと厄日

かねてよりアレだった歯をどうにか処理しに実家へ戻る。保険証とか携帯してないからね、下宿先に。帰る道すがら、ノート PC をうっかり落とす。うっかり……そう、本当にうっかり……落としたああああぉぉぉぅぅぅぅぅ!液晶に!縦ライン!幅約二センチメートルの!一切表示不可能領域!あああああもう 1024 ピクセルの画像を存分には堪能できねえええええ!

とりあえずそれはそれ、ってことで歯医者へ。レントゲンも撮ったりする。年を聞かれたりする。「いくつなの?」「今年 22 です」「へぇ!若く見えるねぇ!こりゃ得だ!」「えへへへへへ(気持ち悪い笑い方)」その後、歯を抜く。というかもう、引きちぎる。うああああああああああ!麻酔 → 感覚割と麻痺 → あー懐かしいこの感覚懐かしいよ → 歯にペンチみたいなもの押し付けられて後頭部を座椅子に思いっきりぐいぐいと(嫌な予感) → みぢみぢみぢみぢみぢみぢみぢみぢ(以下略)。

で、麻酔切れはじめてきて凄く泣きそうになりながら家にあった予備 PC をカスタマイズ。Firefox のインストールがどうにも思い通りにいかない。歯茎が痛い。泣きそう。食欲とかなくなってきた。ブックマークもどうにかしないと(bookmark.html 作ってアップした方がよさげ)。あああああ痛い痛い痛い本当に痛いよ。

復旧のための下準備

本当にくだらない理由からしばらく使い慣れたノート PC と離れなければならないという言い表すならばまるで「将来お嫁さんにするんだ」と心に秘めた想いの対象であるところの幼なじみなどがあっさり引っ越していくのに似たような心境というか。で、予備 PC があるのでかろうじてネットにはつながっているわけですが、さっきからいろいろ入れたりしてるものの使いづらい。当たり前だ。ので、何が必要か書き出す。

  • Firefox
  • Sleipnir
  • JmEditor2
  • Regnessem
  • Winamp
  • FFFTP
  • Melt It
  • Clock Launcher
  • Mozilla Thunderbird

とりあえず書き出しておけば検索して入れられるだろう、と。

  • ContextMenu Extensions
  • Tabbrowser Extensions
  • Popup ALT Attribute
  • XHTML Ruby Support
  • Link Toolbar
  • All-in-One Gestures

Firefox の拡張。あとはブックマークをバックアップしてインポートして云々。あと JmEditor の設定とか……あああああ。歯が痛い。

途中で読む気がなくなる条件

ChaosParadise という小説検索エンジンみたいなとこへ登録させていただいてるのですが、コンテンツとして設けられているアンケートの結果がなかなかに興味深い(項目のみ抜粋)。

途中で読む気がなくなる条件は?

  • 文中に顔文字,()文字,☆や♪を多様している
  • 作品はいいが作者の日記が痛い
  • 紹介文などで、作者が自分の作ったキャラクターに「萌えて」しまっている
  • 感想を強制にしてたり、強要するような文が書いてある
  • 登場人物の名前が凝りすぎて読めない漢字ばかり
  • ギャル文字多用(「ょろしくぉねヵゞぃしますo」とか)
  • 各ページ最後に作者突っこみコメントがある
  • やたら美形だらけ
  • ○×「・・・・・」 こんな感じの脚本みたいな書き方
  • 人が死ぬと女が「いやああぁーっ!」と叫ぶ作品
  • 叫び声のあと「――」が果てしなく続いたり、!や?をいくつも連ねたり、やたらテンションが高い
  • 主人公がモテてちやほやされるだけが全てのような展開
  • 作者自身が登場人物として出てくる
  • 自分が作ったはずの小説のと同じような文だったりするやつがある場合・・・(つかパクられてました)
  • あり得ないほど文章がヘタ
  • 性的表現がすごすぎる
  • お説教が多い(作品以外で)

そもそも文章がダメ、ってのを省くと、ネットで読む文章における禁忌事項みたいなものがたくさん並べられててなるほどな、と思ったりしました。機種依存文字とか文字化けも結構重要視されてるんですね。当たり前か。

というか、自分が作ったはずの小説のと同じような文だったりするやつがある場合・・・(つかパクられてました)とか性的表現がすごすぎるあたりの項目に腹抱えて笑ってしまいました。うちのサイトは人が簡単に死ぬ傾向にあるので読む気なくなってる方がたくさんいそうですね。

コインロッカー越しの友情

金曜日に持ち帰るはずだった実習用の鞄が体調不良により持って帰れないという状況になったのですが、同じ施設で実習してる子たちが気をきかせてくれました。

「駅のコインロッカーに入れといたから。三日以内に取りに行かないと駅長室で預かりになるらしいから、月曜日までに行ってね」

ああ、もうね、ありがたいとしか。男女の友情っていうかね!こんなものが成立するのは全国的に見てもごく限られた地域だけですけどね!嘘ですけどね!

まぁそういうわけなので取りに行きました。地下鉄終点である駅のコインロッカーなわけだけれども全然文句は言わない。だって施設まで行くとその駅からタクシーで 800 円弱必要になるから。

で、駅着いた。コインロッカーに鍵を差し込んだ。回らない。鍵回らない。がちゃがちゃやっても全然回らない。自分に回ってくる幸せの少ないことを比喩表現として思いつくくらいに回らない。回ってこない。よく見たら赤いランプ点いてる。

「追加料金 : 900 円」

ねぇ、これ違うよ。何か違うよ。

エントリーしてみた

ChaosParadise という小説検索エンジン的ノリのアレへ登録させていただいているわけですが(途中で読む気がなくなる条件 参照)、カオパラらんきんぐ なるイベントが開催されるらしいので物は試しとエントリーしてみた。

それにしてもついこの間第一回らんきんぐが終了したところ(らしい)だというのに、もう第二回開催とは精力的な検索エンジン的ノリのアレですね。どれ、前回のらんきんぐとやらの結果はいかがなものだったのかとちょっと覗いてみる。

第1回カオパラらんきんぐ上位作品

  • 第 1 位 『Vice-King Selection』  【蔡糸】 ファンタジー
  • 第 2 位 『人喰い魚が人になる』  【古戸マチコ】 ファンタジー
  • 第 3 位 『魔女の弟子』 【かいとーこ】 ファンタジー
  • 第 4 位 『王女と宰相』  【十二夜】 ファンタジー
  • 第 5 位 『伝小橋』 【流崎詠】 時代・歴史
  • 第 6 位 『Legend of The Last Dragon』  【神崎 旭】 ファンタジー
  • 第 7 位 『ハルメキアの王』  【古川】 ファンタジー
  • 第 8 位 『あなたに星が見えるまで』  【パグのしっぽ】 現代
  • 第 9 位 『暁の大地』  【藤村脩】 ファンタジー
  • 第 10 位 『扉の向こうに』  【Aria】 ファンタジー
  • 第 11 位 『リオン』 【鴻尚エリカ】 SF
  • 第 12 位 『冬季限定』  【なりや】 現代
  • 第 13 位 『サンザシの棘』  【葉山郁】 ファンタジー
  • 第 14 位 『水晶物語』  【ラック】ファンタジー
  • 第 15 位 『神食いの少年』 【ホロウ】 ファンタジー
  • 第 16 位 『EXILE-エグザイル-』  【ゆうり】 ファンタジー
  • 第 17 位 『永遠の恋人』  【響子】 ファンタジー
  • 第 18 位 『《グレムリン!》』  【ふじみひろ】 SF
  • 第 19 位 『名も無き墓』  【村田まち】 SF
  • 第 19 位 『アグネイヤIV』  【kasumi】ファンタジー

ファンタジー多っ!14/20って!頑張れ他ジャンル。頑張れ頑張れ。ということで現代小説ジャンルから チャイルドメイカー でエントリーしてみました。

それにしても主力派勢力が強大過ぎて政治的なアレとか色濃そうな小説検索エンジン的ノリのアレですね。宣伝掲示板からリファラの誤爆は続くわで(アクセスを解析するよ 参照・真皓さんからの情報提供 有り)。それは関係ないか。というかネットの小説界隈に本当疎いな。もう三年くらいになるというのに。

好みのタイプとか

どうもこのところ自分内革命が起きたりなんかしたりで、好みの女性のタイプというものが変遷しているような気がしてならなかったりそうでもなかったり。こういうものは内面的な成長に伴って変化することが自然であるので全く問題はないのだけれど、どうしてそのように変化したのかを詳しく分析し理解することは割と重要かも知れないと誰かが言っていたかも知れない。そうでもないということも誰かが言っているに違いない。

「芸能人で例えると誰?」と聞かれて昔は困ったことを思い出す。

中学校進学後つまり二次性徴を迎えた若い男連中の間では「自分の好みは特殊なんだろうか?」という疑問を必死に否定することに躍起になるのが一種の正常な成長であると言えるため、修学旅行あるいは林間学校などで「お前誰が好きなの?」という会話を交わすことは正月に餅を食べるくらい当然のことである。この点に関してはかの森田一義氏も同意見を述べているためほぼ間違いないと考えられる。今適当に考えたけど。

このとき具体的に誰かをうっかり口にしようものなら卒業時まで「あのときのことバラすぞ」なんて具合に切り札として活用される羽目になるため(大抵この手の話を持ちかける輩は上手く話題から逃れる術を知っている)、「今は特にいない」などと答えることによって体良く相手の「密約を交わす」「秘密を共有する」という大人レベルのどす黒い提案を断ることが望ましい。

しかし、この際無傷で生還することもまた難しく、より逃れにくい "契約" として「芸能人に例えるとどういうのが好み?」という話題が持ちかけられる。この質問から逃れることはとても難しいことは関口宏も自身の著書の中で述べている。これも今適当に考えた。

これらの点を踏まえて、話を冒頭に戻すことにしよう。「芸能人で例えるとどういう人が好き?」と聞かれて本気で困った当時の自分を振り返ると実に感慨深いものがある。彼らに自分の異性に対する好みという意識的・観念的実存に迫るレベルでの秘密を握られてしまうことを恐れて返答に困ったわけではなく、当時の自分には本当に好意の対象となるべき有名人などがいなかった。ていうかドラマとか全然見なかった。今も見ないけど。「あんなもの作り物だ」と冷めた意見を平気で述べる嫌な中学生だった。

けれどそのときからホラー映画は好きだった(ていうか小学生の頃から観てた)ため「シガニー・ウィーバーカッコイイよね」とか「ジョディ・フォスターは結構好き」などと口にして同年代の連中に「あいつ言ってる意味わかんない」とかあからさまに後ろ指など指されたりしたものだった。そういえば正月だったか友人に「映画観に行こう」と誘われて映画館へ赴いてゴジラ対なんたらかんたらを観ることになって軽く憂鬱になったりしたこともあった。それは今全然関係のないことだけれど。

で、中学生の頃はジョディを見たらカフェラッテとかいう CM 見て大喜びするちょっとアレな思春期を過ごしたりしたのだけれど、いつからだったか割と一般的な芸能人のことは理解できるというか話についていけるというか名前が会話に出ても異国語を耳にしたようなリアクションを取らないようになった。元々取らないけど。そうしていくうちに「芸能人で例えるとどういう人が好き?」という問いに正面から答えられるようになっていた。

これに関する変遷がなかなか面白いなぁと思っていた昨今急激に好みが変わって面白いよ、ということが冒頭の文章です。回り道長いな。

確か高校くらいの頃には奥菜恵に物凄くハマった時期があって、それと前後して田中麗奈(というよりなっちゃん)に熱を上げて、さとう玉緒や釈由美子のキャラクターがオイシイなぁとかそういう時期を経て、大学に入った後は何のきっかけだったかにより深津絵里にハマったりもしたし、同級生の影響で小野真弓の誕生日を覚えたりもしたけれど結局彼女に対して特にどうということはなかった。小倉優子がよしもと系の喜劇に出てると気になるのは大根だからという理由だけだろうか。あと久しぶりに前田愛見て「幼なじみにこういう人いないかな」などと妄想したりもした。今思い出したけど小学生の頃、朝の NHK 連ドラを教室で見る教師がいて、その影響で石田ひかり(当時「ひらり」で主演)に憧れたりしてたなぁとか。最近は週刊誌のグラビアアイドル見るのが嫌いではなくなりました。もうおっさんです。

あと海外のタレントさんでは、最近はめっきりダイアン・クルーガーです。最近つうかここ一週間くらいだけれど。数年前はナタリー・インブルーリアだったんだけどなぁ。ジョディはいつ見ても綺麗です。

16:35 追記
メグ・ライアンを忘れちゃダメだよ!マジでダメだよ!

あんなこといいなできたらいいな

ウェブマガジンとか面白そうだ。「週刊○○」とかいうある種のノスタルジーを感じさせるようなタイトルとか。週刊とか冠しておきながら明らかに隔月くらいの頻度でしか更新しないとか。クールだ。

競作というものはなかなか面白いことが プロジェクト K に参加させていただいてよくわかったので(といってもこれは各々テーマに添って書いてあればそれでよし、ってくらいの関わり合いなのでウェブマガジンとは全然違うスタイルかも知れないけれど)、他にこういう企画に参加させてもらったりするのも面白いかも知れない。面倒なことも多いだろうけれど。

というか、前からずっとやりたいなぁとか思っているのは絵本的なアレであって。絵本っても童話的なものになるかどうかはまた別の話だけれど。イラスト一枚に文章二・三段落、十から二十頁分の文章でどこまでできるか?みたいなことを考えているのだけれど、絵心がそれに耐えうるレベルではないので放置。そのうち気が向いたら絵の練習とかするかも知れない。

などと思うまま書き連ねているのは明日提出のレポートが全然ノータッチだからであって、さらに明日は前期後半授業開始であったりゼミにて英語論文翻訳発表などの素敵なイベント目白押しであるというのにもう折り返し地点に達した今週何もしていないという如何ともしがたい現実に直面したうえに最早午後四時半を過ぎタイムリミットは刻一刻とああああああ。

競作しようそうしよう

前回のエントリー の続きっぽい感じで。

オンライン競作

404 : あんなこといいなできたらいいなProjectK公式ページといふのを知つたのだけれど、これに文藝批評とかも加はつたやうなものがあればいいなあとか思つた。文藝誌のオンライン版みたいな。

Project K は 短編 のようにランキング制度めいたものが無い点で若干健全かなとは思いますが、それでも「書き手の書き手による」感は強く作者のほうが読者より多いことによる弊害、なぁなぁであるとか舐め合い的なもの(そこまで酷いレベルではありませんが)である感は否めません。まぁお互いごくごく近い距離で顔つき合わせてやるような狭いコミュニティの中であればそうそう過激にああだこうだ言い合うこと自体難しいのかも知れませんが。

そもそもネットの小説書く人たちって大多数のようでいて実は少人数コミュニティが点在しているだけだったり、その少人数コミュニティも何となく寄り添ってるだけで特に強い意志があって団結したわけでもなかったりで、その中で切磋琢磨してレベルの向上を図るというのはなかなか難しいことなのかもなぁとか思ったり。

だからといってそれが「いつまでも舐め合いに終始していて良い」などという免罪符になるわけでは当然なく、だらだらとリソースを消費し続けながら毒にも薬にもならない文章を排出し続けることを許してしまう・許されてしまう状況だって容認して良いものでもなく。とか書くと「趣味で書くくらい良いじゃないか」などと言われたりもしますが。「メモ帳に書く分には全然文句言いませんよ」とか厳しいことも言いますよ終いには。

前回のエントリーに書いた他にこういう企画に参加させてもらったりするのも面白いかも知れない。面倒なことも多いだろうけれどというのはそういう心情が凝縮されたような雰囲気でもありますが、要するに何かしら向上心を持って自己研鑽できる場があれば進んで参加させていただきたいけれど政治的なやり取りだとか知名度に対する執着心をあらわにした人間関係などに足を突っ込むことは不本意なことであるので、そこら辺面倒でないところへ赴きたいと言うか。そういう。

オンライン競作

といふか、一緒にプロジェクト立ち上げますか、イソムラさん。わらひ。サイトのデザイナーはぼくの友人で英國でデザインを專攻してゐるid:unconscious-webの中の人で、マークアップその他CSSは我われ二人で修正するとか。

まあ問題は、書いてくれる人がゐるのかどうかなのですが、その邊は顏の廣いイソムラさん任せで。俺、なにもしない。だめだめ。

なかなか面白そうな話ですが難しそうでもありますね。

まず一番の問題点として顏の廣くないイソムラさんというか!正直なところネットで読める小説というものに興味を持ち出したのは比較的最近のことでして、さらに昔っからネットでの最大派閥であるファンタジーに対して 嫌悪感が強く 検索エンジンだとかそういうものをほとんど利用してこなかったとかいう過去も相まって(ファンタジーばっかり引っかかるから)、読書量(?)が圧倒的に少なく審美眼も普通程度で人脈ほとんどナシ、などという。何があるのかってことになると脂汗かくみたいな。ドメインがあるから覚えやすいとか。その程度に。

というか面白そうではありますね。三者会談などしてみますか。

妄想はダメか

言葉のアヤにああだこうだってのは物凄くナンセンスですが。

逆芥川賞

所詮ネット上に転がってる小説もどきなんぞ、書いているやつの妄想のみ何だから許してやれよ。

後に許してやれよを言い換えれば「大して期待するな」という意味であるとされているので「ネットに転がってる小説もどきは書いているやつの妄想ばっかなんだから期待するな」と読み替えますが、それでも「まぁ仕方ないわな」と結論付けてしまうことはできません。

誰でも読める公の場に小説と銘打って公開すること、そのうえ検索エンジンなるものへ登録して「うちには小説がありますよ」などと誘導したからにはそれなりに責任というものが生じるでしょう。「面白くなくても許してね、うちは趣味でやってるから」という言い訳を許してしまうことが誰のためになるでしょうか。WWWに公開した以上、内輪だけで成り立つものではないわけで、金を取らないにしても確実に時間は消費されているわけで。

さらに問題であるのは、Nezmi 氏も指摘されていることですが妄想ですらない、「願望」を書き連ねただけのクソったれ文章が想像以上に氾濫していることであって。途中で読む気がなくなる文章の条件 にもやたら美形だらけという項目が挙げられており、その手の物書きが口にするのは「趣味なんだから」であるわけで、この点が一番問題なのではないかなぁと考えたりするわけです。

追記。

Web 上の小説のようなもの

芸術って不特定多数のフィードバックを受けることで、その質や価値が向上するものなんだろうか。

質が向上するというより、淘汰されていくのではないでしょうか。結果的に全体として見れば質が向上するかも知れませんが、しかしそうやって向上していくのは既に淘汰された一部であってやはり総体的には常に発生と淘汰の段階を繰り返しているわけで、発生する量が淘汰されて切り捨てられた量を上回っている状況では全体の質が向上しているとは言えないのではないかと。

何言ってるかよくわからんなこれ。

油絵を三十分で描く

というエンターテイメント。

探偵!ナイトスクープ という番組で、「アフロの外国人が三十分で油絵を描く番組が十年前にあった、その人に指導を受けながら油絵を描きたい」というような視聴者からの投稿があった。なんとなくどこかで聞いた話だな、と思いながらぼんやり見ていると、真っ暗な背景に落ち着いた吹き替えでアフロの人が説明しながら絵を描くというどこかで見た構図が。ケーブルテレビ局の再放送か何かで見た番組だこれ。

残念ながら本人はもう故人なのだけれど、DVD が発売されているとか何とか。面白そうなのでそのうち見るかも。後のリンクは 禁断のイラスト上達法 というこれもまた面白そうなサイトで、敷居が高いと思われている油絵だけど、最低限の物なら3000円も出せば揃う物とのこと。これは面白そうなので時間が取れたら多分画材とか買いに行ってみます。

時間の流れと主観と物理

自分の中でいくつかキーワードが重なったので書く。

クオリアと諸概念融合

つまらない時間を過ごせば、その時間は自分の中で長く感じ、逆に楽しい時間を過ごせば、その時間はあっという間に過ぎてしまうだろう。時間というのは曖昧で、そこには物理学者もメスの入れようがない。

高校の頃、物理科の教師が「歳を取ると一日一日が短く感じられるのはどうしてか?」という疑問に対してこんなことを言っていた。

「人間が感じる一日の長さは相対的なものである。一日は二十四時間と定められているが、一分一秒をどれくらいと感じるかについて時間の基準そのものが個々人によって異なるし、それが年齢を重ねることによって大抵は短く感じられるよう変化することを経験的に知っている。立証する手段は今のところないが、このことに関してひとつの仮説をたてたことがある。それは、人間が感じる時間の基準は過去に経験してきた時間の量と相関があるのではないか、ということだ」

つまり彼が言いたかったのは、「歳を取った人間は多くの時間を過ごしてきたから、過ごしてきた時間の全体量に対する現在の時間(一分一秒)の割合というものを考えると、同じ量と定義される時間が短く感じられるようになるのではないか」ということらしかった。経験した時間の全体量に対する今この瞬間の一分一秒というのは、当人が歳を重ねれば重ねるほど短く感じるようになる。

一歳の赤ん坊が過ごした時間は一年 = 十二ヶ月 ≒ 365 日 ≒ 8,760 時間 ≒ 525,600 分……であり、これに対して二歳の赤ん坊が過ごした時間はそれの約二倍、1,051,200 分。525,600 分に対する一分と 1,051,200 分に対する一分の大きさが違うことは明らかであり、このようにして過ごした時間の全体量が少しずつ増加するのであれば、一日(一分一秒)がだんだんと短く感じられるようになるのは当然のことだ、と。

そんな変り種の物理屋に教えられると割と受験勉強も苦にはなりませんよ、と。高校三年の学年末試験なんか「高い場所から飛び降りた際、足に受ける衝撃を少なくするにはどうすればよいかあなたの考えを書きなさい」みたいな問題だったしなぁ。っていうか何の話をしてたんだっけ。

よしもとの出演者

よしもと新喜劇を見ていたら、見ない顔でちょっとキレイめな人がいたので食い入るようにテレビを見たりした。食い入るといってもそれは言葉のアヤであって実際かじりついたりはしていない。言うまでもないけれど誤解を与えかねないインターネットという媒体と他人との関連性が希薄となりコミュニケーション能力および論理的な理解能力の欠如した現代人には伝えておかねばならないので明記した。ここまで嘘。

で、劇中で「やすこ」と呼ばれていて「そういえば最初スーパーでなんとか靖子とか出たなぁ」と曖昧な記憶を元に「よしもと 靖子」で Google 検索。検索結果一件目に「高橋靖子」という名前が表示されているのでそれを元に「高橋 靖子」で再度 Google 検索イメージ検索 も併せて実行するもそれらしきものは現れず。

で、検索結果で現れたページを見てちょっと驚く。

高橋靖子

出演
  1. 1986.03.08 女医肉奴隷  にっかつ
  2. 1986.06._ 亜紀子の唇 愛戯  ミリオンフィルム
  3. 1987.07.04 偏差値 H倶楽部  フィルム・シティ

えー……。

ってか年代的にこれは別人物っぽいけど。本人らしいデータは全然見当たりませんというかそこまで必死に探す気もしませんというかこんな午後を過ごしています。無駄に。

憤り感じはすれど

案外、似ているのでは。

驚く

馴れ合ひばかりで愚にも付かない文章を公開してゐるオンライン小説家たちに喧嘩を賣りつつ、讀者に本當に良い作品とは何かを示したいと考へてゐて、サイトでそれをじつくりやらうとしてゐたのですが、中々進んでゐなく、締め切りのやうな制限があればよいなと思つてゐた矢先でしたから、實に乘り氣なのですが、私のサイトの常連さんならご承知のやうに、どうしても過激なものにならざるを得ない。

www.progressistance.org

暫くぶりにぶっ飛んだ創作が書きたい、と思いはじめてきた。加納氏イソムラ氏のやり取りを見て触発されたのだろうか。加納氏の目論んでいるオンラインでの文藝の分野で一波亂も、もの凄く面白そう。

えーと、これはちょっとしめしめな状況なわけですが、こんな感じに非馴れ合い目的かつ常軌を逸したほどに真剣な(必死な)創作小説を書くような人が現れたりしたら物凄く面白いのではないかと思います。

というかいわゆる「創作小説サイト」より「テキストサイト」の方が読ませる文章を書いたりするのは、サイト運営(アクセス数に対する考えとか含む)や文章に対する姿勢が真摯であるからだと解釈してしまってよろしいでしょうか。もちろん前者にも素晴らしいものはいくつかあるとは思いますが。疑念を抱かざるを得ないこともまた確かであったり。

そもそもネットでの文章の特質が短編(超短編)に向いているものかも知れないし、「続きが気になる」「キャラ萌え」などという観点から顧客を維持することに躍起になるような現状(以下とりとめもないので割愛)。

5:35 追記
「真剣な創作を目的とする」を命題として掲げた下に集まる人たちが「"真剣" をステータスとしある程度実力を持った人間と交流し認めてもらうことが目的」である馴れ合い目的の人ではないということは一概には言えないわけですが、そういう状況になった場合はやはり姿勢と作品(というようなもの)で判断するしかないのかなぁとか考えたり。

別に旗揚げ前夜決意表明ではなく。そういう予定は一切ありません。

言えないよ

アンテナとかそのへんをうろうろしていたら面白げな。

過激なタイトルだなぁ。

処女なのに処女って言えないっ!!!

外見:吉本多香美さんに似ているとよく言われる(自称はせきょう)

(中略)

上京してまもなく1年になるけど、彼氏できな~い。
これを見て、“この女ブスでデブじゃねえの”と思った奴・・・そこのあんた。
私と会ったらホレるぞ。
けっして不細工でも豚でもございません。

ほほう。で、吉本多香美って誰?

えええええ。これで彼氏ができないとかそういうのはナシなんじゃないですか?もしかしてそういうネタですか?えーと、とりあえず真偽の程を確かめるべく、というか、お友達になってください。

同様のコンセプトのサイト(性別違い)。

性別が違うだけでどうしてこうも悲壮感漂う仕様になってしまうのだろう。現代社会における性差別的な意味合いを含むそのような視線に対して断固闘うべく(以下略)。

PC 変われば環境変わる

修理に出してしまった PC の変わりに親が自宅に放り出していたノートを下宿先へ持ってきて使用したりしているのだけれど、なんていうかもう全然違ってやる気が全く起きない。やる気がないのは元からだけれどこの口実を利用しない手はないので思い切り利用する。おかげでやる気が出ないよ全く。

一番の違いは OS のバージョンだと思うのだけれど、入力周辺でここまで戸惑うとは思わなかった。以前は XP で今回は 2000。ただ入れ替えればいいだけなんだけれども面倒だしそんなことに大きく左右されるとは思っていなかったし多分修理に出した PC が戻ってきたら親が再度使うのでその際 OS が変わってたら物凄く戸惑うだろうみたいな。そういうことにしておく。

  1. 文字入力
  2. 変換
  3. 候補を合わせて全角と半角切り替え
  4. 変換決定され全角と半角切り替わる

みたいな挙動を XP はするのだけれど、2000 だと半角と全角を切り替えた際に入力がキャンセルされてしまう。HTML いじりながら文章打ったりするとこういうことをよくやるのだけれど、入力キャンセルされると否定された気分になってとても寂しいよ……。そうでもないけど。

あとタイピングするとスピーカーに手が被るような配置になってるので、音楽とか聴きながらネットしてると音量が極端に変わる。うぜー。リッピング面倒くせー。ダメ人間だな本当。

検索エンジンを利用した新しい形

知り合いとメッセしていてふと思い出して語りかけてみる話題。週間ランキング「二人でパーティーを抜け出したい女性」に三週間(くらい)連続ナンバーワンである Diane Kruger ですが、えーと、あまりよく知らないのですが、とりあえず画像を見ると心が癒されるのでそういうことをするわけですが。画像を見る。

どうやって見よう?ってことになったら検索エンジンとか使うわけですけれど、以下のサイトが一番上位の検索結果として現れるわけなのですけれども。

で、Gallery とかクリックしてみると。

お前んとこのギャラリーは検索エンジン(画像)頼みかよ!

というかこれはこれでサーバスペースや転送量節約につながる新しいウェブサイトのかたちなのかも知れない。ギャラリーを更新する手間も割と省け、常に新しい写真がチェックできたり過去に人気だった写真がアーカイブ的な位置付けでいられたり、と本当にいいことづくめ、ってね。んなわけあるかあああサボんなああああああ(略)。

つか本当にいいなぁダイアン。代案。あー。あー。いいなぁ。どうして自分がオーランド・ブルームとして生まれなかったのだろう、と疑問に思う。性別は同じ男であるし、髪も黒っぽいし瞳もブラウンっぽい。こんなにも共通事項があるのだから、現在パソコンの前でタイピングしているこのダメ人間の魂がオーランド・ブルームの肉体に宿らなかったことは神様のほんの悪戯心によるものであった可能性だってないとは言い切れない。まぁそんなことないけどね。ダメ人間だから。

CSS を考える

Bad Religion Official Site とか Sundog とかカッコ良すぎ。しかも素の HTML ではどっちも大して画像使ってなかったりするしなぁ。ショボい Alternate Stylesheet 作ってる暇があったら根本的に見直したりリニューアルしたりしたい。したいしたい。monologue の話。

といってもカッコ良いものを目にしたらカッコ良いものが作れるかといえばそうではないし無い物ねだりであることは明白だし、テキスト主体であるサイトが装飾し過ぎというのも良くないような気がするし、そこまで技術的センス的に優れているわけでもなし。LunascapeSleipnir が Gecko に正式対応してくれたらもう少しやり様はあるのだけれど。

というか、本末転倒だけれど、根本的な HTML ファイルの見直しが必要な気もしなくはない。というかディレクトリやコンテンツの構成も見直し必要な気がしなくもない。本来必要なメニューはテキストへのナビゲーションだけであるように思える。創作小説をメインコンテンツと謳うのだから、メニューに必要な項目は創作小説へのアンカー、トップページへのアンカー(あるいはパンくずリスト)、連絡先の明記。これだけでいいように思える。そもそもゲストブックなるものや感想掲示板的な位置付けのものが絶対に必要か?っていうとそうでもないし。日記は必要か?っていうとそうでもないかも知れないし(そこへのアンテナ登録もあるようなので、ひっそりと続けるかも知れないけれど)。

というわけで CSS から入って HTML の修正という根本的な間違いを犯しかねない状況であるわけですが、意欲的な面では良好な雰囲気です。使い慣れない PC で作業効率めちゃくちゃ悪いけど。

頭の悪いヒット作

声に出して笑った。

文学離れとか真剣に考えた方がいいんじゃないですかね。ゆとり教育。

コメント等は 新規エントリー へどうぞ。

時間を順調に浪費する

あー。

ゴミみたいな主張を得意げに展開しているゴミみたいなサイトのことをエントリーとして書いていたらふと気になって、「どんな構造に挑戦したらこんなに見づらいスタイルシートを確立できるのだろう?」とソースを覗こうと思い立ったのが間違いだった。Firefox 落ちた。

十分だか五分だかそこら費やした時間は全て見事に跡形もなく水泡に帰した雰囲気。失った時間は元には戻らないよ。人生の真理。あああああ。

どんな電波な文章を書こうとも、ブラウザが落ちるような事態に比べればいくらか害毒は少ないもんだ、とか思ったりもしたみたいな。あああああ。

夏の到来と悩み

夏が来るたびに心踊り足取り弾み、あるかどうかもわからない素敵な出来事に無駄に胸ときめかせるような青春真っ只中であると思い込みたいので思い込んでいる次第であるけれど、夏が来ればそれはそれで憂鬱になることもある。蚊。モスキート。

動物博愛主義者としてもちろん昆虫や甲殻類に至るまで愛してやまないと地元でも評判である二十一歳であるけれど、どうにも蚊だけは許しがたい。あの 1cm にも満たない生き物はその身に余る苦痛を存分に受けて惨殺されるべきであると言えるほどの罪を犯していると言える。こともあろうか血液を横取りするとは!それだけであればまだ万物の霊長などと肥大した自意識が下等な構造の生命体に対する優越感を抱きつつ「血の数滴くらいくれてやる」とでも余裕を見せるであろうけれど、よりにもよってかゆみ!腫れ!それが数日と続くのであればこれはもう!蚊は惨殺されてしかるべき生き物と成り下がるのである。博愛主義者であろうともあれに対しては修羅のごとき対応を取ってしかるべきであるとか。

というわけで叩き潰してきます。全力で。

CSS の振り分けを考える

CSS を考える の続きっぽく。

とりあえず IE と別のスタイルシートだと思って編集した方がいいかなぁみたいなノリで、でも .htaccess で UA 見て振り分けとかしても偽装できるしな感じで、だったらいっそ import の際に IE には今まで通りの CSS ファイル読ませて、Firefox 専用の CSS ファイルをそこからもう一段階 import させよう、とか。

* {
background:transparent;
border:none;
font:100% sans-serif;
}

とか書いとけば後は追々値を指定していけば十分カバーできるんじゃないの、とかそういう感じで。眠いからまた今度にするけど。こういう言い訳みたいなアレばかり積もるけれど。とりあえず Firefox 0.9 だ。

白馬の王子様

うん。

小倉優子だったか誰かも「白馬の王子様が現れるのを待ってます」なんてコメントをどこかに残していたようなことを思い出した。私は夢見る乙女なのよ的なイメージ戦略とか、恋人いない宣言による潔白感を意図した発言なのだろうけれども、最終的にはどこかで王子様なる一般人男性とめでたく入籍したりするのであまりどうということもないかなぁと思った。結局、ファンというのは王子様ではなく王女を慕う国民であるよみたいな。

っていうか配役がヤンキーだったからってのと本人が気に入ってたからってのでヤンママになるよみたいな報道はどうなんですかね。本人とか喜んでるかも知れないけど。

他所の CSS を真剣に読む

CSS を考えるCSS を考える の続きっぽく。

Sundog はどのように構成されているか?みたいなことを Web Developer 使って考えたりする。本当便利ですわこれ。お勧めしてくれた cho45 氏 に感謝。

で、画像とか見てみる。

割と単純に組み合わせ重ね合わせでやってるのかなぁという感じだけれど、それでもやっぱり上手いことやってるなぁとか。background-image として画像を扱うのは素の HTML で閲覧した場合に対する配慮だろうってことでっていうかこれはもうあまりに一般的だと思われることですが。

面白い動きをするメニューリストのタブですが、背景画像 を見るとどうやら position をあれやこれやしている様子。アサノさんの記事 で読んだ覚えが。これって一般的なんですかね。一般的でなくても有名か。

layout.css

background: url(css-images/tab.gif) 0% -36px no-repeat;

数値を -10px にしたり 0 (指定無し)にしたりするアレで。やっぱり a 要素に display:block; は必須かなぁとか。ああ。

コメントスパマー

帰り道のホームにて という自身の体験から萌え要素を汲み取ることに挑戦したかなり古いアバンギャルドなエントリーがあうのだけれど、というかそこまでアバンギャルドではないけれど、では何がアバンギャルドかという話になればもうそれはマクドナルドが英語表記では McDonald なのに「マクド」と省略する関西人に対して「関西ってマクドって言うんだよね」とコミュニケーションを持ちかけたらイントネーションを注意される羽目になったりとかそういうことであるけれど、これも別にアバンギャルドではないので誤用の見本としたらいいんじゃないかと思った。そもそも誤用のレベルにも達していないけれど。

で、その前述のエントリーに半角英数字しか使えない外国人連中がコメントスパムを残すようになった。どういう選出によって選ばれたのか知らないけれど、かれこれ十件ほど削除し続けている。あまり聞き馴染みのない名前の連中(Joe とかそういうわかりやすいのでなくて、Lawyers とか)が「Thanks for good info」とか「Great info」とか残していく。電車に乗り遅れた女子高生に萌えたというエントリーが good info か?と。スパムに何を言ったところで不毛であることは明快だけれど。

もっと玉虫色のコメント残せばいいのになぁ。「I agree with your opinion」とか。すげー頭悪そう。

CSS と文字とか幅固定

可読性のほとんどを廃したようなデザインのサイトに熱を上げたエントリーをいくつか書いていたわけですが、また原点に戻ると「ああ見出しに格好良さげな画像を使ってるだけなのか?」などと乱暴な解釈に到達したりもするわけで。

Plain style

時代はプレーンスタイルとか言つてみる。海外の豆字幅固定なスタイルは恰好いいかもしれないけれど、それだけだと思ふ。ものすごく惡い喩だと最初から斷つた上で、たとへば小説で、すべて説明しようとしてこれでもかと描寫を注ぎ込む人がゐるけれど、バルザックくらゐの作家ならまだしも、能力が不足してゐる人が書けば最惡な駄作になるのであつて、基本的な良い描寫とは讀者に想像させる餘地を殘し、それでも且つどこかに、決定的に引證に殘る、作者の思念であるとか思ひ描く様とかを、さらつと書くことであつて、私はデザインにおいてもこれと同樣に、作者がすべてfixするやうなデザインはすべきではないと思ふのだ。

とりあえず文字サイズ固定・幅固定は遥か昔に書いた デザインの定義 という稚拙なエントリーにすら表れた決意表明めいたものにも反するので恐らく採用はありえませんが、それでもプレーンスタイルで公開できるほど悟り的な境地にもなく。格好良いのと扱い易いのとが必ずしも相反することはないはずなのになぁ、とやや青い思いを抱きつつ、そんな境地へたどり着けず悶々としつつ。悟りを開きたい。

余談ですが、悟りを開くって凄いみたいですよ

IE を窓から排斥する意志

久しぶりにこの話題に触れるような。

先に挙げた記事に対して後の記事で AD さんが問題個所(?)を三点挙げています。

分離すべきだが、歩み寄るべき

  1. 新しい技術を積極的に用いるべきか
  2. 情報の提供者は、利用者に配慮しなくてよいのか
  3. HTML4.01を廃止する必要はあるのか

この三点を指摘するというのはとてもスマートでわかりやすいのですが、ちょっと目をつぶりすぎだなぁというか、慈悲深いというか。お話にならない部分はスルーしてるよ、ということなのかも知れませんが。

具体的に該当個所を引用するまでもなく目に付くと思われるので、それに対する正当性を検証する目的で問題点を挙げてみるとか。

  1. IE に対しては意図的に崩れるよう CSS でデザインするべきか?
  2. application/xhtml+xml に対してダウンロードダイアログが表示された場合、閲覧者はソースを開くか?
  3. ダウンロードダイアログが表示されることを知りながら「未確認」と明示するべきか?

前提(新しいブラウザで見れる物は積極的にサイトに使うべき)が怪しいのでそれに基づいた見解が怪しいのは当然のことかも知れませんが。

  1. IE に対しては意図的に崩れるよう CSS でデザインするべきか?
    自分の使うブラウザで表示が崩れるサイトがあったとして、それが「ブラウザが標準準拠でないためか?」という考えを持つ人はいないのではないかと思います(自分の使っているブラウザが標準準拠であることを知っていることが前提になるし)。大抵は「このサイト表示が崩れてるけど制作環境が悪かったんだろうなぁ」か「このサイト表示が崩れてるけど作った人が能力的にレベル低いんだろうなぁ」という結論にたどり着くのではないでしょうか。そのため代表的なブラウザ(Mozilla,Opera,Safari等)での見え方(スクリーンショット)へのリンクも二種類以上張っておくなんて面倒くさいことを推奨するのかも知れませんが、それが「へー、そういうのもあるんだ」だけで終わらないということに確証が全く持てません。
  2. application/xhtml+xml に対してダウンロードダイアログが表示された場合、閲覧者はソースを開くか?
    開くわけがないと思います。ダウンロードダイアログが表示される原因がソースにあるという奇抜な発想を持てる人間が閲覧者の九割以上を占めるような環境であれば話は別ですが。あまりに都合の良すぎる解釈であるようにしか思えません。
  3. ダウンロードダイアログが表示されることを知りながら「未確認」と明示するべきか?
    IEにわざとページを見れないように書いているのだと思われてしまうことを避けるためにそう記述するべきである、と書いてあるように思えるのですが、全く逆効果だと思います。嘘を明記して自分の責任が他所にあるよ、なんて主張をする人間は大抵信用されません。IE で見られないことを知っていながら「知らない」と嘘をついて、誰が何を得するのでしょうか。文書製作者がアンチ IE な立場でないと主張したいのであれば、「IEは全ての窓から出てけ」なんてタイトルの記事は書かない方が良いように思えるのですが。

というか、今までの他の人のやり取り 読んでないのかなぁ。提示された命題に対しての議論のやり取りを読まずに命題に対する自分だけの答えを即席に示すような行為はどうなんだろう、と。いつまで経ってもどこまで行っても議論や意見交換が実を結ばない典型例なんて言われそうな。

typo

あまりにやることがないので打ち間違いを探しては楽しんでいます。

本当はやらなきゃいけないこと山積みなんですけどね。

Firefox ツールバーから検索すると sourceid=firefox とか追加されるのは何だろう。

くねくね

くねくねしてます。

赤い服の人の動きに注目。人間業ではない感じ。

文学を殺すという企画

どこからだったかリンクをたどって、東京文芸センター というサイトが二周年企画として「文学を殺す」という題で競作を行っていたことを知った。で、読んでみた。

作文の作法を知らないけれどネタを考え付く力がある人の文章と、作法を知っているし表現力もある人の書く中身のない文章と、どっちが面白いんだろう。とりあえず、フォントのサイズを変えることによって効果を得ようとする文章 とか 文章でない要素がオチに使われる文章 をもってして文学を殺すとは思い上がりも甚だしいかなぁと思った。「もう一度、と彼は続けた」と「私のどまんなかを甘く激しく貫いているもの。」は楽しく読めた。「アクアマリン」は冗長すぎるうえに村上春樹知らないのでよくわからずじまい。読んでて疲れてきたのであとは後日適当に読む。予定ということで。

タイトルの割にはエッセイ集みたいな雰囲気でちょっと肩透かし。

23:54 追記
三点リーダや疑問符の後の空白なんかは言わずもがな、句読点の使い方が妙であるとかそういうことはあまり気にかけられることはないんですかね。半年もネットやってればそういう啓蒙活動を行っているサイトなんかにかなりの高確率でたどり着くんじゃないかと思うのですが。

主人公は特殊であるべきか

あー。テスト。独り言を言いますよ。独り言と銘打ってはいてもそれをネットに晒す心積もりで書いているわけだから、それを読んだ誰かの精神面において何らかの作用が引き起こされることを期待するものでありますよ。さらに言うなれば「独り言」という前置きをすることはこの件に関して誰かと壮絶なやり取りをすることはあまり望まないという意思表示でもあるということですよ。まぁ軽く聞き流すような。

実は自らエントリーしたことすら半ば忘れていた 第2回カオパラらんきんぐ なるイベントに対する参加希望作品が カオパラ掲示板 なる場所で題名を連ねているわけですが(要するに掲示板で参加作品を自己申告という)、タイトルから何となく読む気になりそうなものを探しては読んでみたりしたわけです。足繁く当サイトへ通っていただいている諸氏にはわたくしがファンタジーというものに対して一種の嫌悪感を剥き出しにすることもやぶさかでないことをご存知であると思いますので、その手の作品は当然のように読まずに飛ばしたことは明記するまでもない事実であると解釈していただいて結構です。

で、面白そうなタイトルというか面白いタイトルの作品をいくつか読んでみたり、その作品をエントリーすると決めた作者の他の作品を読んでみたり、リンクをたどってその作者が好むような作品を読んでみたり、と、ある法則に従って対象を限定してから行った行為であればネットストーキングなどと呼ばれてしまいそうな巡り方をしてみたわけです。物事の作り手にとってはやや快感を覚える仕打ちかも知れませんが。まぁそんなことはどうでもいいのです。

そこでタイトルに戻るわけですが、物語に登場する主人公は何かしら秀でた部分を持つべきか?という。あるいは極端に欠落した部分を持つべきか?という。

そんなもん人それぞれだし作品それぞれだろう、と思う方も少なくないでしょうが、これがまたそういうわけではないようなのですよ。せいぜいが四・五人の書いた十かそこらの小話を読んだ程度なので正確な統計データからは程遠い経験則ですが。

もちろん何かしら飛び抜けた能力や感覚を持った登場人物というのは魅力的な側面を持つでしょう。あるいはあまりに世間からズレているとしかいえないような純粋な心根のヒロインが魅力的であるとか、実年齢に似合わず世間にうまく溶け込むような擦れ方をしている少年が一部の読者にとって堪らない魅力であることもあるでしょう。けれどそれは一歩間違えれば紋切り型として実に魅力のない、薄っぺらで使い古された、数え切れない人の手垢がついた(そのうえある種の欲望にまみれた)存在することすら哀れに思えることもある人格として、ただただ読み手に同情を促し続ける(しかもそれは想像力の希薄な作者め、といった類の)物語も舞台設定もその他の人物も何もかもをぶち壊しにするものになり得ることを意識しなければならないかも知れません。

これが人それぞれ・作品それぞれでないという根拠は実に少ない読了数による経験則であることは先に述べたけれど、あるひとつの作品において主人公またはそれに準ずる登場人物に特殊な力や魅力を与えた場合、その作者は他の作品においても同じような設定を施すことが少なくないように思える。この作品にはこの名で紋切り型な登場人物、こっちの作品では別の名で紋切り型の……などということが繰り返されているような。「主人公は天才肌の……」「年の割に冷たい目をした……」「男性とは思えない細身の美少年……」このような愚にもつかない自分の欲求に純粋な気持ちで描かれ始めた作品の多いこと、またその繰り返しの多いこと。物語の進行上必要であるというものならまだしも(語られるべきテーマと感じているものに対してそのために必要な要素を揃えるのであれば、少なくともテーマに対しては誠実であると言えるかも知れない)、自分が単純にそのような人物を意のままに動かしたいからであるとか、自分が抱えている感情を痛快に表現してくれる誰かを空想の中に求めているだけであるとか、愛と偽り欲望のはけ口にするようなものもあり、小脳と言語分野と指先が連結しているかのような、まるで三文 SF が描いた破滅的な未来における搾取される階層を連想させられていくらかの絶望めいた感情を抱くに至ることもあるとか。彼らにとって登場人物は血が通い肉を持つものではなくて、いくつかの要素やステータスを備えた紙人形のようなものなのだろうか。

特殊な主人公が特殊な能力を持ってして特殊な事態を特殊な方法で解決する小話よりも、どこにでもいる誰かがどうにかして問題をやっつけやっつけしていく方がいくらかリアリティを伴うし、そうでないものが溢れ返っている状況で「特殊な主人公」でいることは却って平平凡凡であるよと声を大にしているようなものであると言える。そもそも、天才の苦悩だの野心だの世間との確執だのといったことは凡才に描き切れるものでは当然ない。精神学でいうところの幼少時の万能感に憧れて完全無欠な主人公を創造することも悪くはないけれど、それは所詮都合の良い世界での都合の良い何かでしかないわけで、そんなものに愛だの情だのといったことを説かれようがそれも都合の良い何かであることは連想するまでもなく。そのようなものが本当に誰かの心を突き動かし得ると思っている書き手は自惚れが強いか状況が見えていないのだと言わざるを得ないし、そのようなものに本当に心を突き動かされたと思っている読者は人生を見直した方が良いと思われる。

途中から多分ある作品に対する感情が混ざっていてわけのわからない文章になっているような気がする。とりあえず、そういう作品を書いている人は、一度アノニマスな誰かが現実世界で動く場面を描いてみると新しい発見になるのではないかと思う。

表現方法の一環として

とは言ってみるものの、視覚的な表現を HTML のみで行うのは(以下略)。

言葉の乱れ・殺人事件POLESTAR 経由)

「おれはやってないですよ。早い
              と
              こ
              解放して下さいよ、刑事さん。ヘッヘッヘッ」

等幅フォントでないと崩れるっぽい。

確かにインパクトはあるし一瞬「面白いな」と思わせはするのだけれど、これ画像でも使った方がマシなのかなぁとか、確かに CSS じゃ出来ないだろうけれどとか(渦巻きなんかは特に)。PDF がベストか。少なくとも読み手の環境を限定しないはずの HTML で実現するには無理のある試みであるとか。残念。

前衛的な手段が普遍的なものになるにはとても努力が必要だし、努力があれば必ずそうなるというものでもないけれど、前衛的に取り組む人は嫌いじゃない(方法が間違っている場合は別の点で問題があるけれど)。

1:01 追記
いや、pre でマークアップすれば問題ないのか?前例はないだろうか。

整形済みですよ

割と部分的な蔓延の仕方をしているようです。

超preたぐ!

  • HTML:006
    • 特に改行タグに関しては、エディタで直にhtmlを書いてる方々にとって 非常に面倒くさい問題です。そこで、<pre>タグでさっきの文を囲んでみます。*
    • 珍しく役に立ちそうなタグを紹介してみました。*

面倒くさいときの<pre>タグ。これ一本でなんでも出來るとか出來無いとか。しかも役に立ちそうなタグらしい。

  • www.dinop.com
    • このタグはあまり使うなって言われてるけど、そんなことはお構いなし。使いまくろう。*

最強。

先に紹介されたサイトでは珍しいタグとして address や link も紹介されています。blockquote もここに含まれています(「小説」サイトでは使わないかも知れないけれども)。うん。勉強しよう。ね。

後のサイト、何か凄いっぽい。まだコンテンツとしては工事中の段階であるようだけれど、C++とSSIを使ったホームページ作りがとても気になる。というか二番目の項目においてメモ帳で作るらしきことをほのめかしておきながら七番目の項目でオーサリングツールを使用してみるようなアバンギャルドさ。七番目の項目は工事中の状態だけれど。

文章主体のサイトで、文章が不出来で音声ブラウザなんかでも面白いことになってしまうのであったら、何をメリットとして、とか考えても不毛であることは明白であって。最強

劇画

パロディ。

深いなぁ。

タイトルはなかなかに重要ですよ

ちょっと考えれば当たり前のことなのだろうけれど、創作小説やそれに準ずるテキストに限らず、ひとつの文書においてタイトルというものはかなり大きな比重を占めるのだなぁと。「読む気にさせる」という読者の好奇心を煽る段階ではもちろんのこと、書き始めに良いタイトルが決まれば俄然やる気が出るということも往々にしてあると思われるわけで。

本末転倒な順番ではあるけれど、タイトルが決まってから書くことも決してないわけではなく、あるいは映画や楽曲からタイトルを拝借することもないわけではなく。今ざっと思い返せる分で、曲なんかからタイトルを取った話はこれくらい。

思ったより多かった。まだあるような気も。サブタイトルを海外の曲から取ったものもいくつかあるので。

何が言いたいのかというと、ネタが切れたときのために誰か素敵なタイトルをください、とかそういうことです。そういうことか?そういうことです。

山積みの課題

とりあえず当面の問題は次の木曜日つまり日付的には二日後に行われるゼミにおいて英語の論文を和訳しかつ質疑応答を展開できる程度に理解を深めて発表せねばならないということなのだけれども、自分が今のところ調べている分野の論文だからまぁそこまで苦労することはないだろうというあまりに気楽な選択によって選んだ論文を発表するためには BSRI なるスケールについてもある程度の理解が必要であるという点にいまさらながら気付いて戦々恐々としていることとか。

などとこんなところへ書き連ねている間に一行一文でも訳していけよとかそういう話になるのは至極もっともであるし是非ともそうしたいのだけれど、取り掛かれない病特有の何かにさえぎられているようなというかまぁ具体的にその何かというのは眠気のことを指しているのだけれど。一日一日をなんとか乗り切ることに精一杯で先のこと(二日後)を考える余裕のない頭。欠陥品。

実習先が被りました

保育園実習などという自身のアイデンティティ未曾有の危機なんてなイベントが現在進行形で実施されている昨日今日明日でありますが、意外に面白くて初志貫徹できない自分にげんなりというかそれは意味が違うのでやっぱり安心というか。

K 大学から保健師か何かになるとかで実習に来てる女の子がいたりするわけですが、というかまず K 大学について述べておく必要があるかと思います。K 大学はお嬢っぽい学校っぽいです。以上。で、その K 大学から何人か女の子が実習に来ていて(当然保母さんとか目指してるんだと思います)、そのうちの一人とペアっぽい感じで 0 歳児のクラスを受け持ってるわけなんですが、その人はどうやら現在二年生だそうで、微妙に丁寧な敬語でもって接してくれるので微妙に丁寧な気分になったりするわけです。というか、お嬢っぽい学校っぽいところであると先入観を持っていた K 大学にそういう丁寧っぽい敬語っぽい接し方で接してくれるっぽい人がいるっぽいことに何やら清清しい系の感情のようなものが一筋の光明となって差し込んだような爽やかな高原の風が吹いたような。

まぁそんな実習も明日で最後です。蜜月の時は短いのが世の常っていうか蜜月でも何でもないしね。お互い名字と学部を知っている程度という。自分で打ち込んだ文章に後悔の念を覚えるのが最近のトレンドみたいです。自分内で。

客寄せと身売り

例えば、こんな状況を想像してみたり。

  1. チャットだか掲示板だか IM だかで自称女性と会話
  2. 「ホームページ作ったんだけどお客さんが来ないの」などと相談される

まぁよくあるっちゃあるっていうか割とあるように思えるけどその実そんなにない状況というか多分あまりないんじゃないかなっていうような、まぁ頻度はこの際何でもいいのでとにかくこういう状況になった場合、どのように返答するか。

  1. 「毎日更新するといいよ」と助言
  2. 「たくさん宣伝するといいよ」と助言
  3. 「Strict 化が SEO 的にも良いよ」と助言
  4. 「脱げ」と助言

例えばこれらの選択肢から回答するとして、あなたはどれを選びますか、と。

この四つの選択肢の中で最も即効性があり効果が見込めるのは四番目の「脱げ」と助言する、であると考えられるわけで。

一番目の「毎日更新」は訪問者が足繁く通う要因になり得るけれど、毎日更新することを示すためにはある程度の期間更新し続ける必要があり、ただ更新するだけでなく毎日読みたいと思わせるクオリティで提供し続ける必要がある、あるいは明日も訪れなければならないような仕組みを取り入れる必要がある、と。また固定客をがっちりつかむことにはつながっても、新規のお客さんが増えるとは限らないわけで。

二番目の「たくさん宣伝」は割と最悪の選択肢というか、実のないサイトの宣伝をしたところでそれは「ゴミ情報」と断ぜられるのみであったり、場合によっては「宣伝うぜえ」と攻撃の対象になり得るとても危険な手段でありハイリスク・ローリターンかつアウトローなライフスタイルを送る彼女くらいにしか勧められない方法であるとも言える。

三番目の Strict 化は Google など検索エンジンの検索結果に効果を及ぼすと考えられるけれど、反映されるのは数日から数ヶ月後だし、特に日記や詩や写真など個人サイトが星の数ほどあるジャンルにおいては群を抜き出るための決定的な手段ではなく、ノーリスク・ローリターンな割と趣味の範囲に入れられてしまうかも知れないようなそういう感じであったりするかも知れない。

四番目の「脱げ」は実に実直である。女性のヌード写真があれば地球人口の半分くらいは多分喜ぶはずである(男性ね)。よほど偏ったものであるとか状況的にちょっと、なんてことでないのなら、そういう画像などを閲覧して不機嫌になる男性より上機嫌になる男性の方が多い。上機嫌になる女性もいるかも知れない。

というわけでこの四つの選択肢の中では前述の通り「脱げ」が最も効果的な手段であるためにこう助言していくと良いよ、という話であるが、こういうことを書くと「女性性を男性の男性による男性のための市場へ切り売りする行為だ」「女性の人格を無視し身体的特徴を欲望のはけ口にする行為だ」「性差別だ」などと正論なバッシングを酷く浴びたりするのが世の常であったりするのだけれど、例えば腹黒い男性が事情を完全に理解していない女性を利用して性を売り物にしようとするのであればそれは非難されるべきことだし、状況的・環境的にそうしなければならないことが先天的な性別に依存する、あるいはそのような状況に追い込まれたことが性差別の要素を多分に孕むのであれば、これもまた同じく非難されるべきことであるのだけれど、女性本人が自ら自分の体を「コンテンツ」として売り出すことに対してフェミニストと呼ばれる女性らは「性差別だ」と訴えるべきだろうか?

そもそも個人のウェブサイトなるものは一部(あるいは大部分・正確な数値を知らないので曖昧なまま記す)を除いて娯楽の領域であり、自己顕示欲であるとか友人が欲しいだとかそういった欲求を満たすためのフィールドに留まっている。その欲求は訪問客を一人でも多く得ることでより良いかたちでの実現に繋がることが多いし、事実彼ら・彼女らはそれを(潜在的に)認識しているために「より訪問客が欲しい」と考える。

ここで、彼ら・彼女らが自身のヌード写真をコンテンツとしてアップロードすることが「性差別」であるとか「性を市場に云々」に該当するだろうか?

もちろん該当しない。彼ら・彼女らは自らの目標達成のために自らの身を削り訪問者獲得の努力をしているに過ぎないのである。その方法を彼ら・彼女ら自身が選択したことに対して(その危険度を十分に理解しているかどうかは別の過程で明らかにされ考慮されるべきではあるが)第三者がああだこうだ言うべきものではないのである(もちろん倫理的社会的に悪徳であるとされるものに関しては個人の領域を逸脱しかねないので別問題)。

話を本題に戻し、四番目の「脱げ」と助言することが前述のフェミニストなる女性らに弾劾される類の助言であるか?という点であるが、これも助言する対象が十分な理解力と判断力、危機想定能力を兼ね備えているのであればそうではないと考えられる。例えば国家の法律に反するような行動に出ることを助言するのであればもちろん問題であるが、国家に「この範囲だったらまぁ好きにやれや」と承認されている範囲での行動に出ることを助言とすることは、前述の条件(対象の理解力・判断力・危機想定能力)が満たされていれば問題ないと考えられる。もちろん、対象にその能力が備わっているか十分に考慮せずに安直にこのような発言をしたのであればその点は非難されて然るべきである。

長々と仮想敵(フェミニストとか国家とか)まで用意してくだを巻いたのは、個人でヌード写真などを掲載する女性のサイトなんかが増えたら素敵だなぁとか疲れた脳味噌が考えたからであります。本当にそんだけ。

0:12 追記
なんていうか、もしかしたら自分は賢いバカなのかなぁと思いました。

賢い → つじつまを合わせる言葉を知っている
バカ → バカ

0:13 追記
別につじつまは合ってはいないな。訂正。

賢い → それっぽく見せる方法を知っている
バカ → バカ

駅前で演説をする集団

広く大衆に言葉が届く場所、例えば夕方やや混み合う駅前などで演説をするという選挙活動は確かに知名度と好感度の点で効果を期待できるけれど、同時にデメリットをいくつか抱えているかも知れないことは頭に入れておいた方がいいことでもあるように思う。疲れた会社帰りのあるいは学校帰りの、必要以上に気合が入った声で語られる楽観的過ぎるほど希望的観測に満ち溢れた演説や主張を聞くことが我慢ならない、少し性根の曲がった誰かにウェブログなどという場所で一方的に揚げ足取られ小馬鹿にされるかも知れないからだ。

というわけで今日は自分が駅前演説についてちょっとアレかなぁと思ったことをご本人らへ伝えるでなくここへ一方的に書き連ねることでただただ自身の心の安楽を図る浅はかな行動に出るのではないかという気がしています。というかするでしょう。するのでは。まぁなんだかんだ言ったところで毒にも薬にもならない文章を書き連ねることはいつものことであったりしたりするような気がしたりするのでそういう。

自宅最寄の駅(ちょっと大きめ)前は割と頻繁に政治的な社交の場と化すのですが、今日そこに陣取っていたのは「女性党」というあまり耳にしない政党らしき人たちだった。というかあまりに耳慣れないので今軽く 検索 してみたら、結構アレな団体であるという印象を世間に(少なくともネット上では)持たれているらしきことが判明した。

あー。

ネットから得た情報をそのまま鵜呑みにすることはあまりに軽率で危険なことではあるけれど。あー。「ジェンダーフリーを謳うフェミニズム全開な団体だったとして、ネーミングがジェンダーの枠に思い切り囚われている点が実に滑稽だ」とかそういうことを考えていたりしたのだけれどそういう観点は余裕で超越しているっぽいような。

明日とかも駅前で演説してんのかな。対象は女性か。そういえばチラシとか渡されなかったな。隣を歩いていた二十代前半っぽい女性は渡されてたのにな。気のせいか。気のせいだな。眠い。

日を記すと書いて日記

satoh 氏の記事 とか読んで「あーそういえば拡張子非表示にしようとか目論んでたことがあったなぁ」と思い出したりしたので早速取り掛かってみた。本当はこれに乗じてディレクトリ構成とか人知れず整理してやろうとかこっそりリニューアルしてやろうとかいうことも目論んでいたりしたのだけれど、ジュン氏 に相談したらなぜか CDLinux の話とかで盛り上がったのでいつの間にかまたの機会に、というような結論にたどり着いていたようだった。この点に関してはいまだに確証が得られていないとのこと。今後の情報に注目が集まる。

というか、いろいろいじったんだけど、っていうのは全部 monologue の話なのだけれど、トップページもいじったからアンテナ反応しまくりなんだけど、っていうのは別に今話すことでもないのだけれど、ディレクトリ構成とか徒然と考えながらひたすら置換してたら何かテキストサイトの形態ってあれやこれやなどと思いが浮かんだりしたのでまたそのうち書きます。

Same Old Story の格納されたディレクトリ以外置換完了。つまりあと 200 ファイル残っている。多すぎ。

自称正統派

そこここで話題になっているかのような雰囲気。

d-s-j: ブログ正統派

「我こそは正統派ブログ!」という趣旨です。
増殖し続けるブログサイト、ブログが何たるかも知らないままオープンさせる人たちも多いことでしょう。
そんな中、「最低限のブログスタイルは守っているぞ」という人たちへの提案です。

以下はjackalが考える最低限のブログスタイル。

そもそもブログとは何ぞや?という点で明確な定義なしに正統派も何もないわけですが、以下はjackalが考えるなどと、人によって異なる解釈が許されているかのような書き出しで予防線など張っておいて「最低限のブログスタイルは守っているぞ」というのは、結局のところ「俺の定義だと俺はちゃんとやってるから俺は正統派だ」なんて主張以上にはならないのではないかと思います。

というか、そっちよりこっちのが興味深く。

愛あるセックスが一番!という主張は、愛のないセックスを暗に認めてしまうようなことにはならないんですかね。一番は愛があるセックスだけど、まぁ二番目か三番目かせめて十番目くらいには愛がちょっとばかし不足してても構いませんよ、みたいな。

こういうことを書くと相手を負かす目的の反論ということになってワタクシは異端派認定されてしまうのでしょうか。裁判とか火あぶりの刑に処せられたりするのでしょうか。つか眠いのでいいや。

正統派と異端派とツール

自称正統派 の続きっぽく。

そういえば似たようなことが以前にもなかったかな、と自サイト内を検索などしてみた。クローズドでない内輪サイトとか というエントリーで「本当はクローズドにしたいんじゃなくて邪魔者になり得る連中を排除したいだけなんでないの」という浅い思慮を見事さらけ出していたりしたのだけれど、今回のこれやあれやも結局はそれに近いところへ端を発するものではないですかね。
僅かばかりの時間の差でもって発生したリードによって自分を高い位置へ差別化しつつ(そう扇動しつつ)、その運動やら思想・啓蒙の創始者であるというステータスでインターネット下克上計るみたいな。一旗挙げてやるぜ、みたいな。野心を持つことが悪いだとかそういう極端なことは言いませんが。

インターネットに公開するべく文章を体裁整えたり余所行きに仕立てた時点でその魂胆が何であるか、はある程度見えているようなものだし、そこにあと必要なものはモラルとか常識とか最低限の社会通念とか、そこは架空の世界ではないのだという至って普通な認識だけであって、ツールであるとかカテゴリであるとかましてやそれの上に成り立つ正統派であるとかその集団であるとか、それらは差別化を計るためか自分を正当化するためか周囲に自分を認めさせ尊敬されたいとか、そういうちょっと腹黒めな魂胆を背景に見られてしまうことは別段不思議なことではないはず。という。

要は「俺は正統派だぜ」なんて主張をする暇があったら自己研鑽でもする方が誰にとっても有益になるというか。「俺はイケメンだぜ」なんて自称する男はどうだろう?という。

追記。

ブログ孤立主義

おやこニュースの下書きは、「ブログ」とやらを作るつもりはなく、あくまで下書きなのです。非公開にする、というのも選択肢の一つですが、勿体ない、という貧乏人根性と、インターネット上に存在する以上、公開すべき、という二つの理由のどちらかで、公開しているわけです。

(中略)

下書きですので、いい加減です。多くはその後、おやこニュースの中で、二次利用します。その際に、更に資料を加えたり、誤字、脱字を直したり、文脈を考慮して書き換えるということは茶飯事です。二次利用されずに、お蔵入りするものも、多いです。

そもそも出発点がインターネット上に存在しているというのがやや理解しがたかったりしますが。それこそ推敲を重ねる段階の何かであるならローカルでいじくりまわす方が適当であるように思えますし、例えば自宅以外で原稿を書くために文書の共有が必要であるというのならそれ用のツールもあるわけで。

メニューと本文の順番

正反対。

メニューは何故右側なのか。

HTMLの構成をかんがえると、長ったらしいメニューが本文の前に並ぶのは、大変拙い。

従って、まず本文を書き、メニューはその後ろに並べるべきであると思う。

ちょっとこの文章だけではこの提案が適切なものかどうか判断しかねるのだけれど、どの場合においてメニューより本文が先に来るべきか?ということを考えると良いかなぁと思ったりもする。

例えば MovableType などはトップページに記事の概要(あるいは内容のほとんど)を羅列しておいて、どこかから各記事の全文へリンクを貼る場合が多い(デフォルトでそうなっているから、なのかも知れないけど)。この場合、各記事においてはメニューより本文が先に来る方が良いかも知れない。トップページから記事の内容に興味を持ち全文表示させるためにアンカーをクリックしただとか、何かしらの検索などでその記事へたどり着いた場合であれば、まず読みたいのは本文であるということは想像に難くない。トップページとほとんど同じような「最近のエントリー」なんてリストを最初に読む必要性はほとんどない。

けれど、トップページにおいても本文が先である方が良いか?となると、これは少し違った話になってくるのではないか。CSS に対応していない、あるいは CSS を意図的にオフにした状態で閲覧する人にとって、何のナビゲーションもなしに突然本文が始まることは良いことだろうか(link 要素使えば良いっていうのならそもそもそのナビゲーション自体不要であるよ、ということで)。例えばどこかのサイトからリンクを貼られていてそこから訪問した、つまり事前に予備知識(何について書かれているよ、とか)もなしに訪れた場合、いきなり本文から始まることは良いことだろうか?

本だって最初に目次を持ってくるわけだし、ずーっとスクロールさせていって一番最後に「はじめに」なんて項目が現れたりするのもちょっとどうかなぁ、とか。

本当の名前作成機

日本国外の方にウケそうな。

入力する文字列によって結果が変わりそうなので、ネットで使ってるカタカナ表記と漢字表記とローマ字表記で試してみることに。

カタカナ表記(イソムラ)
坂本 Sakamoto (book of the hill) 亜門 Amon (asian gates)
漢字表記(フルネーム)
中村 Nakamura (center of the village) 聖人 Masato (sacred person)
ローマ字表記(フルネーム)
清水 Shimizu (clear water) 雄大 Masahiro (big hero)

なぜか漢字をひとつの熟語として捉えて意味を英訳してたりするのだけれど、big hero ってなんかカッコ良いなぁとか。マサヒロっていうよりユウダイって感じですね。ですねっていうか。

とりあえず、本当の名前は坂本亜門だそうです。デビルマン黙示禄連想。