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叱責の方法

昼下がりに駅前の比較的大きな交差点で信号待ちをしていたら、右折待ちのパトカーがスピーカーを使って「二人乗りをやめなさい、危ない」と注意を促した。周囲を見渡してみたら、二人乗りの自転車(中学生くらい)が横断歩道を渡っているところだった。まぁこの年代はあまり気にしないだろうなぁと思っていたら案の定、そのままパトカーの目の前を横切って行って、ああお巡りさんも大変だなぁなどと思っていたら突然「君は耳が聞こえんのか!」とスピーカーから大声が響いたものだから、周囲の人から注目の視線がそのパトカーへ集まったりしたのだけれど。

もちろんこの警官は「耳が聞こえないから注意を聞き入れることができないのか」と皮肉ったつもりなのだろうけれど、公僕などと称される警察官がこんな表現で叱りつけるのはどうだろう、と思わないでもない。意地の悪い見方をすれば、「耳の聞こえない人は注意を聞き入れないんですか」とか「注意を聞き入れない人は耳が聞こえないんですか」などと差別的表現であるかのように追及することもできるだろうし、もし本当に彼らが聴覚に何らかの障害を持っていたのだとしたら、この警官の発言はどのような意味を持つことになるのだろう、と考えると、それはもう市民団体が騒ぐようなことにだってなり得るわけで。

後の叱責に反応してパトカーを見たから多分、彼らはちゃんと先の叱責も聞こえていたのだろうけれど、どちらにしろ警官はこのような表現をするべきではなかった。注意を聞き入れられない・ルールを守れないのは頭が悪い(かも知れない)ことに原因があるのであって(そうでなければ何かしら信念を持っているのだろうけれど)、注意を聞き入れられないそのことを耳が聞こえないなどと皮肉ったこの発言は、耳が聞こえないことに原因がありしかもそれを叱責しているかのような印象を与えることにもなるだろうと思われる。叱責に対する態度に叱責するべきではない、とも言えるのかも知れないけれど。

というのとは関係ないけれど、自転車の二人乗りはどういう理由から禁止されているんだろう。二人乗り用に設計されていない、というのも大きいのだろうけれど、荷台に 50kg の自分でバランスを取る荷物が積まれている、という見方をするのは全くダメなんだろうか。

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