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フィルムスキャナ

本物(それ専用の)ってやたら高いんですね。解像度が高いだとかそういう本当に高性能なのは使いこなせないので別に必要ないというか。メモ。

参加型音楽配信コミュニティ

メモ。

  1. 大学の友人(ここ数年音信不通)が SNS 始めたらしい(GREE?)
  2. そのうちどこかでお目にかかるかも知れない
  3. 彼(とかその周辺の人)はこのゴミみたいなサイトのことなど知らない
  4. 思いっ切りサイトバレ的状況に該当する
  5. 要するに こんな状況

というか今まで知り合いに会わなかったことの方が不思議な感じですか。鳴海さん とか 松筆さん にはお目にかかったけれども。あとは割とストリクターな感じの人がいくつかのコミュニティをまたいでいるとかはよく目にしたけれども。リアル知り合いとか全然いない。というかいたらこんなゴミみたいな文章を書き続けられるほど面の皮厚くない。厚くないよ。熱くないし厚くもないし面白くもないよ。いいとこなしだよ。

  1. Movable Type 3.0 に以降
  2. ログ全削除
  3. 慎ましやかに近況報告のみするウェブログへ

却下気味。困った。

「イタイ」のは誰か

誤解を大いに招きそうなアレであることは重々承知であるけれど、いわゆる人格攻撃であるものとは違う(と自分では思っている)根拠というか、ぼくは彼女の日記や書き込みやその他文章を一度も目にしたことはない(自己紹介のページは目にしたかも知れない)(あと最近、「ぼく」って一人称を使うのが気持ち悪くて面白い)。

「mixi依存症なんです」――ソーシャルネットで人生が変わった26歳女性

「私、mixi依存症なんです」。

(中略)

初対面の人も多かったが「皆いい人でびっくりした。ネットの人って、もっと“イタイ”と思っていたから」。

少なくとも ITmedia という比較的大きなニュースサイトのコラムに顔写真付きで現れて「私、mixi依存症なんです」なんて発言してしまう人はイタイ人なんじゃないかと思いますよ。「あの人たちアレだと思ってたけど実際会ってみたらそんなにアレじゃありませんでした、今では私も目出度く仲間入りして中毒状態です」、これは十分にアレな人だと思いますよ。

そういうお前はどうなんだってなもんですが、きっちりネット依存症であるので mixi 依存症どころの話じゃありませんよ。大手ニュースサイトのコラムに思慮の浅い過去と現在をぶちまけてしまうような面の皮の厚さは持ち合わせていませんが。

超アレ

気持ちいい。超気持ちいい。

「超自然現象」とかいいますよね。これは自然界の法則を超えた不思議な現象ということだと思います。だから、「すごく自然なごくありふれた現象」という意味ではないんです。
こんなのはどうでしょうか。

「髪型変えてみたんだけどどうかな」
「超自然だよ」

とか。

多分「自然」と「自然現象」は別物であって、「超自然」の場合の「超」は very の意味合いであって「超自然現象」の「超」は超越を意味するところの super であるのではないかなぁと思います。で、

気持ちいい。超気持ちいい。

「超現実主義」というのもありますよね。これは横文字で言うとシュールレアリスムというかと思います。非合理なものや、意識下の世界を好んで表現する絵画のことですね。
なので、

「彼の考え方は超現実的だよ」
「このグラフィック、超リアルじゃね?」

とかはどうなんかな。

なんかこれは目から鱗でした。現実的な規範を超越したかのような言い回しであるところの「超現実的」という言葉には何かしら真理に基づいた確信というか信念というかそのようなものを感じさせるに足る威厳を聞いた者に抱かせる宇宙的意志の示すところが我々の実存に様々な感情を抱かせっていうかもうよくわかりません。超わかりません。very の。

強い女性という幻想

二時間ドラマ(日本のものに限定する)の主人公によくあるような、危険を顧みずに殺人犯に口論を挑むような「強い女性」の象徴的存在が好きではない。あれは勇敢であるとか強いとかいうものではなくて、無謀だとか他人の迷惑を考えないとかそういった類のものであるし、競争原理社会で場合によっては他人を攻撃するほど強い主張をしなければ残っていかれないような国ではない日本で、あそこまで(特徴として、という意味でもあるし、そのようなドラマで主役になる年齢層まで、という意味でもある)我の強い女性が周囲から疎まれることなく社会生活を営みつづけていられるとは考えにくい。

というようなことをドラマの結末において人気ひとけのない崖で犯人に殺されかかる典型的クライマックスのあの胃のムカつくようなステレオタイプな主張(脇役が体を張って殺人犯を引き止めているのに「あなたを置いていけない!」と散々躊躇しながら結局逃げるような頭の悪さ!)を眺めていて思ったのだけれど、日本の女性の強さはどちらかというと打たれ強さにあるのかなぁと思ったり思わなかったりした。

話は変わるけれど、"Thir13en(Thirteen) Ghosts" を観ていて「ホラーの肝のひとつは登場人物の不条理身勝手納得のいかない価値観優先順位あるいはどんくささにやきもきすることであるだろうけれど、実際あのベビーシッターあるいは弟のような人物が身の回りにいたらそれはもう空気に接するように関わるか思いっきり殴るかどっちかだろうなぁ」としみじみ思ったりした。これもまたアメリカンホラーの醍醐味であるとか何だとか。

人の振り見て我が振り直す振り

別に「誰が」とか「何が」とかそういう具体性をもってして物事を語るつもりではないけれど、人と人とのコミュニケーションにおいて一番鬱陶しいのは「コミュニケーションするつもりがない人」であると感じたり感じなかったり心に刻んだり道端に吐き捨てるような思いであったり。

例えば、「自分はこれこれこういうコミュニケーション上の問題を抱えている」、具体例を示すならば「そそっかしく勘違いをしやすい」「人の話を鵜呑みにしやすい」「短気ですぐカッとなる」、これらのような項目をさもアイデンティティここにありなどといった風に自己紹介しそれでいてなお誰かとのコミュニケーションを積極的に行おうというのであれば、彼(彼女)は「コミュニケーションするつもりがない人」である可能性がある。彼(彼女)には少なからず問題点があり、それは「自分の欠点を直す気がない」あるいは「自分がコミュニケーション上の問題点を抱えていることを自覚しさらに相手に不快感を与える可能性を現実的なものとして実感しているにも関わらずそれに構わないでコミュニケーションを試みる不届きさを兼ね備えている」といった点に収束される可能性がある。

また、相手の反応を一手先までだけ予測して発言行動する連中も「コミュニケーションするつもりがない人」に含まれる可能性がある。彼(彼女)の発言行動は全体を見通した有意義な構想でもなければ、相手との感性知性の刺激を楽しむつもりの応対でもない。ただ自分の発言を(ある意味では)客観的に(物凄く狭いものではあるのだろうけれど)見つめ、相手はこのような反応をしてくるかも知れない、と会話やり取りをせばめたものを放り投げ、さらにある者は実際それに対する反応が何であろうと構うことなく当初予定していた「反応に対する反応」を述べてみせる(大概の場合はここで綻びが見えるので不自然さに気付くだろうけれど)。

自分の欠点を自覚することは悪いことではなく、また同様にそれを公開することも悪いことではない。自覚してもなおコミュニケーションを取りたい気持ちも悪いものではない。悪いものではないが、ともすれば「滑稽」な領域に片足を突っ込んでいる自分の姿を省みてみることも不要なことではないこと、またコミュニケーションにおいては何が一番重要であるのかということに考えを巡らせることは決して優先順位の低い事項ではないということを覚えておくべきである(もちろんコミュニケーションの質によって「何が一番重要であるのか」ということは変化するし、それを見極められず決め打ちし続けることもなかなか滑稽である)。

TSUKAI-GATTE

っていうか "Thirteen Ghosts" を DVD で観たんだけど、DARK CASTLE のロゴの前の、配給会社か何かのロゴで DVD プレイヤーのリモコンの「メニュー」とかそんなニュアンスのボタン押したんですよ。そしたら何かね、画面右上に、手のひらにバツ印つけたみたいなマーク出てくるんですよ。で、全然メニュー表示されないの。ちょっと待って DARK CASTLE のロゴのときに押したらメニュー表示されたんだけど、画面切り替えエフェクトが十秒前後あって物凄くファックとか思いました。どれだけメニュー見せる気がないんだ、と。

で、ここでアレですよ。何?ユーザビリティ?アクセシビリティ?アクセサビリティ?何かそういうアレですよ。エフェクトカッコいいのはカッコ良くていいんだけど、待ち時間長いのはファックじゃないですか。あ、今ちょっと DVD じゃない話ね。ウェブサイトとか。ウェッブサイト?何かそういう。オープニングでカッコいいエフェクトとか出るとカッコいいけど、もうスキップしたいときとかあるじゃないですか。スキップしまくりたいとき。ていうかもう DVD なんてディスク入れたらすぐメニュー画面出てくる、とかそういうのの方が明らかにユーザーフレンドリー?じゃないですか。ディスク入れてすぐ本編始まるのもいいけど、勝手に英語音声字幕なしとかだと面食らうじゃないですか。ネイティブじゃないからわかんないじゃないですか。ファックですよ。

ということで、映画を家庭で見る機会からオープニングフラッシュムービーをスキップできないウェブサイトはファックであるとかそういう関連性を見出しましたみたいな。ファックって四回書いた。今ので五回。関係ないけど、ヘイトサイトとかそういうものは読んだことがありません。以上。

DAME エンターテイメント

なんかテレビで "Biohazard" やってたんですよ。最初二十分くらい観てないのでちょっと残念なんですが。いや、映画の中身はもっと残念だったんですけども。あの映画後に抱いたポジティブな感想は「ミラって綺麗な体してるなぁ」とかそんな程度のアレであって、もう肝心要の中身は全然アレでしたよ本当に。もう。アレ。

ホラーやスプラッタで重要な要素として「ギリギリ感」というものがあることはおぼろげながら共感していただける部分ではないかと思われるのですが、それは自然に「頑張ったけどぎりぎりだった」的なものでないのであれば「何余裕カマしてんだアホか」となるわけで。例えば脱出場面でリッカー(アンブレラ社が遺伝子操作によって生み出した、という設定のクリーチャー)に襲われるシーン、鉄パイプを叩き付けようと走り込む男性(名前知らない)に気付いていながら(そう見えるシーンがあったような)、一度体を起こしてそれの前に立ち塞がってしまうミラだとか、「床を開けて!」と叫ぶミラを助けようとするもゾンビに襲われる男性(名前知らない)が目の前のゾンビから一瞬目を離してミラを見るシーンだとか、もう無駄な動きが多いわけですよ。それでもって「危ねえ今のぎりぎりだよ」なんて思ったりはしないわけですよ。襲う側がやたらもったいぶった動きを見せるからそれに対しての「ぎりぎり」が襲われる側の無駄な余裕を挟まないと演出できないような状態のわけで。

つうかなんだあのゾンビ。ひでえ。撫でてるだけじゃん。アホか。エキストラにしても酷すぎるし、下水にあんな多数がひしめき合って何してんだよ。アホか。あの設定だと共食いしなきゃ不自然じゃん。アホか。今まで見たゾンビ映画の中で一・ニ位を争うダルさの映画でした。

23:46 追記
言うまでもないけれど、続編を観る気は全然起きないです。あと番組最後にミラが「アリスに変化があって、彼女は知りたくないことまで知ってしまう」とか言ってて、続編の映像ちょっと流れてアリス(主役の女性、ミラ・ジョヴォヴィッチ)が壁を駆け下りてるようなシーンがあったのだけれど、あれはアレですか、ミラがウィルスに感染してスーパーマンな状態にあるとかそういうことですかね。ゾンビと戦うスーパーマン。ますます観る気が起きないですよね。ね。

写真素材としての兼六園

大学に入った頃から金沢の兼六園(ウェブサイト もある)に行きたいと思っていて、けれどそれは思うだけでずっと実行できなかったので今頃になって現実味のある計画を頭の中で組み立てていたりするのだけれど、兼六園のサイトを見ていたら 写真素材 を提供などしていることを知って驚いた。

写真素材集

★高解像度版
2800×2000ピクセル程度(写真により異なります) 350dpi
旅行業者様のパンフレット印刷など、高解像度のデータが必要な方にお勧めです。
★中解像度版
1024×730ピクセル程度(写真により異なります) 72dpi
幹事さんの旅行提案書や旅日記の作成など、一般ユーザー向けです。PCの壁紙などにもちょうどよいサイズです。

なんでしょうかこのサービスの行き届きっぷりは。

髭を剃らないせいかつをしています

いわゆる車道楽と呼ばれる存在であるところの我が家の大黒柱すなわちマイファーザーの横幅の広い道を譲ってくれるタイプの車に乗って服装をさりげなくプラダで固めるとガールフレンドが八人はできるよと太鼓判を押されたので初任給はプラダのお店へ行きます。親戚友人に「形整えてるの?」と言われてしまうような控えめな髭を剃らずに放置していたら悪役顔になってきてしたり顔をしています。風呂上りにオールバックなどしてみたら拍車がかけられて「将来は坊主頭にしてその日の気分でかつらを変えたいむしろそういう流行がやってきて欲しい」と祈ったりしています。

"Clockwork Orange" にはただただ圧倒されるばかりなのですがあの内容で当時の日本上映は問題なく行われたのかつまり修正いわゆるボカシやモザイクの類は入れなくて大丈夫であっただろうかなどと過去を危惧しています。R-18 だったよなどの情報をお持ちの方はお寄せください。あと当時の劇場予告編が DVD に収録されていたものの今だったら確実にポケモンフラッシュ騒動によって生まれた保護者らの防衛意識によって過剰に忘却の彼方へ押しやられていたであろうなぁとパラレルワールドを危惧しています。てんかん発作の仕組みは解明されたよとの情報があればお寄せください。

"華氏 911" (原題忘れた)は結構楽しめたけれどやはり秋の大統領選でブッシュに投票できるチャンスを持っていてこそあの映画の本当の意味だとか価値だとか忘れていた何かだとか歯がゆい思いだとかあの日の僕らを楽しめると思うので日本でもああいう映画を作ったりしないかと密かに期待しています。江守徹あたりがイメージ的にいい感じではないかと思いますが結構やばい映画になる気がします。江守徹という芸名はフランスの喜劇作家モリエールのアナグラムだそうです。エドガー・アラン・ポーをもじった江戸川乱歩なみに気が利いているとの噂ですが真相は定かではありません。

そんな感じの腐れた思考を伴う日常を送っています。「自分は幸せ」と実感しているやつらは死んでしまえ、百年以内に。

昼夜逆転していますが元気です

やらなきゃいけないこと
  • 卒論の調査期間を決めて教授にメールして公文書送ってもらう
  • ていうかそろそろ卒論自体の下書き始める
  • 調査対象機関に挨拶しに行く
  • 後期の履修登録とか定期購入とかそろそろ学校行く準備
  • 就職活動のあれやこれやを整理しておく
やろうと思っていること
  • Movable Type を 3.x にアップグレード(むしろ一から作り直し?)
  • 写真を撮る写真を撮る写真を撮る
  • 植毛紙という一品が身近にあるか手芸センターで確認してみる
  • 兼六園を巡りたい → 旅行計画 → 車がいつ使えるか確認

父親の車が変わりました。道を譲られるタイプの幅の広い車 から 欧州では一種のステータスとなっているという噂のエコロジーカー へ。前の車が我が家にやってきたときもそう思ったのですが、せめて息子に一言二言伝えておこうとか、そういうアレはないでしょうか。前は友達と夕飯食べて返ってきたら車庫の中に知らない車があったし(自動車学校通い始めて一週間くらいの時期に「お前が元々あった方の車乗るだろうから買っといた」て。免許取ったのそれから一ヶ月くらい後だったのに)、今回なんか夕食時に父親がナビの説明書のようなもの読んでて「買うの?」って聞いたら「もうそこにある」っていうアレだったし。

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センス。ウマイ。

写真の撮り方を考える

普通に写真を撮ってもまぁそれなりに面白いというか存分に楽しめると思うのだけれど、部屋の隅で薄ら笑いを浮かべるような自閉的な行為にとどまらないためにはやはり何かコンセプトを掲げるべきじゃないかなと思った。別に写真を撮る人が部屋の隅で薄ら笑いを浮かべるような自閉的な人だとは言っていないです。かしこ。

カメラを構えている人を撮る
例えば自分。けれどこれを実践するには常に大き目のミラーを持ち歩くか、二台のカメラでもってカメラを構えている自分を誰かに撮ってもらわねばならないと思った。自分が撮った写真には常にカメラを構えた誰かが写っているし、自分が写った写真はもはや誰かの写真。パラドクスだと思った。あとそんなアホみたいなことに真面目に付き合ってくれる友人はいないと思った。
ジョン・シンメトリー
これ は面白いのだけれど、撮る段階の話ではないと思った。
全部顔だけ写ってない
怖いけど面白そうだけど怖い。コンセプトを理解してくれる友人はやっぱりいないと思った。
全部顔だけしか写ってない
ナルシシズム。「シ」の数で迷うよね。
変なフラッシュとかフィルムとか
LOMO からカラーフラッシュみたいな物が出てます。物が。中学生の頃、代名詞として盛んに「物」を使う人がいてアレかなぁと思った。モノクロフィルムは別に変なフィルムではない。
ヌーディスト
芸術と猥褻の境目が何であるかということはもはや撮影した当人にしかわからないことであって、撮影された人間にも多分わからないのであって、誰にもわからないことを皆して「わからんなぁこれは」と首をかしげているところに撮った人が現れて「これは芸術だ!」と宣言してしまうと「ああ芸術ってわからんもんだよね」となって家庭円満無病息災家内安全商売繁盛身長もめきめき伸びて驚きの 190cm 台に!家庭円満と家内安全は同じだと思った。

256MB → 7,000 円

正直これは物凄く欲しいですよ。GB とか使いきれないし iPod なんていう身の程知らずな選択はできないというか。安かろう悪かろうかも知れませんが。何でもいいや。安いし。

モスキート

もう夏も終わりだなぁなどと甘い夢を見ていたら蚊に刺されて目が覚めた。しかも三箇所。もう本当に全世界から蚊を撲滅できるなら生涯収入の 30% くらい費やしてもいいと思った。すぐに思い直した。

今は白血球に頼るのみです。あー。小指の第一関節を刺すな。タイピングできない。

アップデートしますよ(予定)

Movable Type 3.0 がリリースされて久しいので(英語版は 3.1 までリリース済み)、そろそろアップデートしますよ、と。

で、いっそのこと一から全部再構築してしまおうと思っていたりするわけですが、というか実に価値のないログばっかり溜まっていることに嫌気が差しているという状況なわけですが、もうこれを機にしっかりとコンセプトを練れよというか。カテゴリどうしようかなとか真剣に考えるとかね。将来どうしようかなとか真剣に考えるとかね。そもそもあまりに手軽に更新できるから無駄な文章を無駄に生産して無駄にログが溜まっていくわけで。いっそのことちょっと面倒すればいいんだ。いいんだよ。更新ごとにイメージ画像を一枚作って貼り付けるとかね。更新を楽にするためにツールを導入したのに敢えて障害を設けるというこの自己矛盾っぷり。コンセプト・イズ・コントラディクション。

多分決定事項
  • Movable Type 3.01 日本語版使用、テンプレ書き直し
  • ログは全部まっさらに(閲覧はできるようにするかも)
  • カテゴリをきちんと最初に決めます
  • 各記事の URI を連番でなく日付などによるものに変える

16:33 追記
CSS どうしようかなっていうかテンプレいちいち書き換えるのって本末転倒ですよねっていうかやっぱり日記とかをネットでやろうってときは直接 HTML なんか書いてられないですよねっていうかその結果がこの頭の悪い文章なんですが。