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ファンタジーに対する考察に対する考察

物凄く論理的で有意義な文章から参照を受けつつも、能力的な問題からろくな文章を返せないので部分的な言及のみにとどまったりする自己防衛手段。

創作者と読み手の間隙にある創作物

正直言って、私も単なるファンタジーっぽいというだけの話は好きではない。ファンタジーをイメージすると、何故か鎧を着た人や中世の西洋的な剣が出てくる。読者に見せよう(魅せよう)という意識があればどこかは設定を捻り倒したり組み立てたり壊したりする。あまり考える事をせず、自分だけが楽しいと感じるような創作物はどうなんだろう、と考え込んでしまう。

恐らく多くのファンタジー創作者は、その共通観念がどこに基盤を持っているものかということすら想像しないのでしょう。以前のエントリー黎明期のコンシューマゲーム機におけるロール・プレイング・ゲームをプレイした世代だからなどと表現しましたが、この刷り込みにも似た経験を自分の創作意欲の根源と結び付けて考えられる人は(彼らが現役である以上)ほとんど居ないと思います。

自身のファンタジー世界に対する先入観を意識できないでいるから、同じ原体験を持つ人間以外とはその世界を共有できないでいる。結果、不備のある世界を中途半端に構築し、足りない部分は無意識のうちに自分の原体験での世界観で補ってしまう。DQ・FF の世界観・価値観ありきと表現したのはつまりそのことで。彼らの多くは自分の世界に何が足りないかを意識できないでいるし、その足りない何かを無意識のうちに補っている自分、あるいは無意識のうちに補ってくれる読者がいることを知らずに創作を続けているように思います。

どうしてネットでのファンタジー創作者をとりまく状況がこのようになっているのか、についてはいくつか原因があると思われます。

ひとつは、ある世代があまりに多くの共通体験を持ってしまっていること。例えば二十年前、家庭にテレビゲームが広く普及したことであるとか、例えば数年前、指輪物語が映像化されて多くの観客を魅了したことであるとか。おかげで言葉足らずな創作物を読者は勝手に脳内補完してくれるし、その点読者も意識できないままであるから指摘もされずにいるし、で。
ひとつは、真皓さんも指摘されているように、創作物というのはどんなものでも否定できそうで否定できないモノであるということ。どのような程度のものであれ、それが個人の固有のものであるならば(とりあえず表面上そうなっていれば)それだけで存在を許されてしまう可能性が大きいものであるということ。またそれに相乗効果をもたらす要因がインターネットの特性でもあるわけですが。良いもの(良いとされるもの)は爆発的に広がるけれど、悪いもの(程度が低いと判断されるもの)が駆逐されることは滅多にありません。誰でも気軽に「ホームページ」を無料で(ほとんどノーリスクで)持つことが可能な現在、毒にも薬にもならないものは放置されるのみで、それの程度が低いという理由だけで抹消されることはほとんどないでしょう(例えばどこかのランキングで最下位ってなことになっても一時的に一部の人間から嘲笑の目で見られる程度なわけで)。淘汰されないまま存在を許され続ける中で、向上心を自発的に得ることが稀であることは容易に想像できます。

とひとつひとつ挙げていきながら、より簡潔かつストレートに表現された文章をふと思い出したので引用してみます。

虚構日記 Es-7 夢の終わり

本当の言葉を書くためにはな、世界と人間を理解しなきゃダメなんだよ。少なくとも、世界と人間を理解しようと思わなきゃなんねえんだよ。それを、さかしげに人類史や世界や、そういった巨大な流れから切り離された個人の感情だけで言葉を語りやがって。俺たちゃ、お互いみんな違うように見える。けど、少し踏み込んだら、みんな同じなんだ。そして、もう一つその奥では、やっぱり全然違うんだよ、俺たちは。この人間理解の道程をもたどらず、最初に感じる世界への違和感にだけ拘泥した愚かしさで、誰か自分以外の人間に届いてしまうかもしれないここで、言葉を吐こうなんて少しでも思うんじゃねえ!

余談ですが、世界を知らない一般人 でも述べた通り、虚構の世界へ逃避できる保証があって初めて逃避するのだと考えています。なので、現実逃避からファンタジーが作られるのだとすればという仮定はやや違和感を覚えます。彼らが現状、現実逃避しながらファンタジーなるものを創作しているとしても、ファンタジーという受け皿がなければ彼らは現実逃避などしなかったのではないでしょうか。これはまた別の話になりますが。

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ネットでファンタジーに対する考察に対する考察に(略) 自分は結局の所、論理的ではなく感情を前提にして書いているのでおそらく文の端々に感情的なものが混じっている事と思います。ですが感情論剥き出して語るとなると自分もその創作小説自体に関わっているという事もあ...