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写真の撮り方を考える

普通に写真を撮ってもまぁそれなりに面白いというか存分に楽しめると思うのだけれど、部屋の隅で薄ら笑いを浮かべるような自閉的な行為にとどまらないためにはやはり何かコンセプトを掲げるべきじゃないかなと思った。別に写真を撮る人が部屋の隅で薄ら笑いを浮かべるような自閉的な人だとは言っていないです。かしこ。

カメラを構えている人を撮る
例えば自分。けれどこれを実践するには常に大き目のミラーを持ち歩くか、二台のカメラでもってカメラを構えている自分を誰かに撮ってもらわねばならないと思った。自分が撮った写真には常にカメラを構えた誰かが写っているし、自分が写った写真はもはや誰かの写真。パラドクスだと思った。あとそんなアホみたいなことに真面目に付き合ってくれる友人はいないと思った。
ジョン・シンメトリー
これ は面白いのだけれど、撮る段階の話ではないと思った。
全部顔だけ写ってない
怖いけど面白そうだけど怖い。コンセプトを理解してくれる友人はやっぱりいないと思った。
全部顔だけしか写ってない
ナルシシズム。「シ」の数で迷うよね。
変なフラッシュとかフィルムとか
LOMO からカラーフラッシュみたいな物が出てます。物が。中学生の頃、代名詞として盛んに「物」を使う人がいてアレかなぁと思った。モノクロフィルムは別に変なフィルムではない。
ヌーディスト
芸術と猥褻の境目が何であるかということはもはや撮影した当人にしかわからないことであって、撮影された人間にも多分わからないのであって、誰にもわからないことを皆して「わからんなぁこれは」と首をかしげているところに撮った人が現れて「これは芸術だ!」と宣言してしまうと「ああ芸術ってわからんもんだよね」となって家庭円満無病息災家内安全商売繁盛身長もめきめき伸びて驚きの 190cm 台に!家庭円満と家内安全は同じだと思った。

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