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ネットでファンタジー

ついでに、というか。ひとつ前のエントリーの流れで。

ネットにおける小説(いわゆるオンラインノベル)のジャンルで最大手は恐らくファンタジーであると思われる。検索エンジンなんかの登録数が一桁違いだとかは日常茶飯事、ってくらいに多い。とにかく多い。で、これが嫌いということは前からあちこちで書いているのだけれど、詳細に理由を分析したことはなかったのでしてみる。いやしてたかも知れないけれど結局結論に達していないので再度試みる。

ネットでファンタジー小説を公開しているのは、おそらく十代前半~二十代半ば、あるいは二十代後半であるように思われる。この辺りは正確な統計データなどないので推測に過ぎないことは言うまでもない。

まず十代前半に焦点を当てると、彼らの文章はほとんどが読むに値しない。文章における最低限の作法すら守れていないものが多い。一人称で語り始められた文章が中間で三人称へすり替わったり、語尾の統一がされていなかったり、台詞以外は状況説明のみで進行していたり。これはファンタジーに限定した話ではないけれど。ある者は脚本のようなものを「小説です!」と元気良く公開していたりもする。これに関しては年を重ねて何かしら変化が訪れるかも知れないので生暖かく見守ると良いように思われる。

十代後半~二十代前半のそれは、十代前半の彼らと状況が違う。自分が何をどうしているかの自覚はあるものと思われるし、客観的に見ても二十代前半の彼らが軌道修正する機会はより少ない。その点において傍観者は、更正し損ねた不良少年を見るのと同じような感情を抱くこともあると思われる。
彼らのうちの多くは恐らく原体験に、ドラゴンクエスト・ファイナルファンタジーなど黎明期のコンシューマゲーム機におけるロール・プレイング・ゲームをプレイした、というものがあると考えられる。これが彼らがファンタジー小説なるものを書く原因の大半を占めていると思われる。だから彼らの小説はまず DQ・FF の世界観・価値観ありきだし、途方もなく強大な悪者がいて、それを倒して世界平和を勝ち取る、そこへと辿り着く過程を延々と描いて楽しむということが面白いと思っている可能性がある。出発地点がファミリーコンピュータに押し込められた小さな世界から抜け出せていないのであれば、彼らの描き出す異世界が陳腐なものであることは至極当然であるし、そもそも DQ・FF が先駆者のファンタジー小説からわかりやすいエッセンスを抽出したものであるから、それの劣化コピーが世界観を形成しきることには途方もない努力あるいは才能を要する。そんなことができる人間は真剣に文学で飯を食べていくことを検討すると思われる。
またその他の多くはいわゆるライトノベルを読んで「自分も書きたい!」との結論に至ったのであろう。ライトノベルそのものに関して言及するとまた長くなるので割愛するが、そういう動機で書き始めたものもまた劣化コピーにしかなりえないことは想像に難くない。その殻を突き破るほどの努力ができるのなら新人賞にでも応募するだろうし、無料で公開してしまうことを「もったいない」と考えるだろう。大したものでもない文字の羅列を有料公開していろいろ問題起こして話題になっているサイトがあるがそれはまた別の話。
また昨今急増しているであろうと想像できるのが(実際に確認はしていない。読むの面倒だから)指輪物語の映画化、あるいはハリー・ポッターのヒットを受けてそのような話を書き始めたケース。例えば映像を動機に文章を書き始めるとして、それまでの過程に原書講読という段階を踏んでなおファンタジーが書きたい、というのであれば、それはもうどこか欠如しているのではないかとも思える。トールキンが生涯を費やして研究・創造した世界を一朝一夕に模倣できると考えている思考回路で何を生み出すか興味はあるけれど、大概想像の範疇を出ない。その段階をすっ飛ばして「映画観た!自分も何か書きたい!」というのであればむしろイラストでも描いた方が良いわけだし、絵が描けないから文章で、という代替手段模索の末の結論であるものが面白いのであれば世の小説家は自己概念の崩壊にでも陥ることだろう。
動機をどこに持っているにしろ彼らの多くは劣化コピーの劣化コピーを繰り返しているだけであって、そこから何か面白いものが生まれてくる可能性は限りなく低い。

あまり内情に詳しくないのだけれど、たまに「ライトファンタジー」なる言葉も見かける。何がライトか知らないけれど、もともと酷く薄口なもののさらにライトというともう読んでも読まなくても同程度の価値しかない文章だよ、と宣伝してまわっているようなものであって、「ライトファンタジー書いてます!」という宣伝文句は「僕の文章には価値がありません!」というようなものであると解釈している。
また「重めのテーマを扱ったファンタジー」という宣伝文句を掲げている文章を読んだことがあるけれど、重めのテーマというのはどうやら命がどうのこうのとかモンスターを殺すことがどうのこうのとか、全くファンタジーである必然性のないものだった。人種差別の記事のひとつでも読んでから書くべきだくらいか感想を持てなかった。あるいはモンスターなる異形の生命体がいたとして、その文章に描かれる「事件」が起こる以前の共存体系はどうなってたの?ってな視点で読んでたらボロしか出てこないとか。物事には過去と未来があることが想像できない文章にリアリティを感じる世代なのだろうか。

とかいろいろファンタジー叩きをしているわけですが、啓蒙活動とかそういうことではなくて、自分がどうして嫌いなのか?ということを究明したいという一点に動機が絞られてくるわけで。なので、面白いファンタジー書いてる人、連絡ください。知ってる人も連絡ください。ね。

※ じゃお前は面白いもの書けるのか?って言われそうですが、芸術評論家が良い芸術家である必要はないとかそういうアレで。いち読み手として客観的な。

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創作をすること、読者と創作者のそれぞれの姿勢を徒然に考察。