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クローズドでない内輪サイトとか

今でも多いんですかね。

「私的」web活用の初歩

そらの他人に見られたくなく、しかしweb上にリソースをおきたいならば、会員制にでもすればよいだけの話で、それだけの技術なら容易だらう。回避手段があるにも関らず文句だけ言ふ奴はただ怠惰なだけだ。

「このサイトは○○用なので関係者以外は見ないでください」と Geocities のトップで宣言しているサイトを見つけておおおおなんて気分になったこともあったなぁなどと思い出したのだけれど、どうにも違う部分もあるのではないかなぁとか思ったりもする。

そういう「ここは管理人の場所なので閲覧して気分を害する可能性のある人は~~」というサイトに限って検索避けをしていなかったり、あるいは与えられたウェブスペースの一番トップのディレクトリにそういうものを置いていたりする。
余談 : 別に会員専用とまで徹底しなくても、検索避けしてあるだとか、index ファイルを置いておいてそれ以外のファイル名をトップページにするとかいくつか努力が見られるようなサイトは全然良いのではないかなぁとか思ったりする。そりゃ他所からばっちりリンクされまくってたり検索でガンガン引っかかるのに「見ないでください」はないだろうとか、「私的」web活用を奨励するわけではないけれど。彼/彼女には知識か努力か勉強する機会か運か、あるいはそれらのうちいくつかが偶然足りていないかも知れないだけであって、今後、もしかすると明日には状況が改善することもあるかも知れない。ので、そういう場合はよしとする。という考え方をしていることを何となく書いておきます。(甘い?)

で、どうにも違う部分もある、というのは、そらの他人に見られたくないわけではないのではないか、と。彼/彼女にとってみれば自分を認める・自分を褒める・自分を支えるような存在が居て困ることはないだろうし(少なくとも当面は)、検索避けをしないとか「ここは管理人の場所なので~~」のくだりをトップに書いておいたりとかするのは、そういう面倒なプロセスを経てもなお自分の日記やら何やらを読みに来てくれる人がいて、きっとその人は自分にとって利益をもたらしてくれるのではないか、と、そういう望みを抱いているのではないだろうか、と考えるのです。
いやこんなこと言われずともわかっているとは思いますが(でも書く)。

彼/彼女にとって、赤の他人を徹底的に排除してしまう方法を取らない最大の原因は(知識不足・技術不足を除く)、それが同時に本当の内輪サイトになってしまって、自分に起こるかも知れないシンデレラストーリーの可能性すら同時に排除してしまうことに薄々気付いているからではないだろうか。どうも「自分のサイト=自分の庭」という勘違いからそういう行動に出る人より、「自分のサイト≠自分の庭」と認識してはいるけれど、インターネットを通じて思いもかけない出会いがあり得ることを自分に都合良く整形して外に求めている人が多いような気がする昨今。夢は見るけれど自分から努力はしない、誰かが拾ってくれるのを自分の場所でじっと待つ。自分が自分を(ある程度)曝け出し続けていればそれは叶わない願いではないと信じている。という人が多いように思える。自分がその範疇に入らない確証はありませんが。
いやこんなこと言われずともわかっているとは思いますが(でも書く)。

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