« 2005年02月 | メイン | 2005年04月 »

2005年03月31日

CSS signature どうしようという話

この間 の話をどうしたものかとまだウジウジしていたりします。ウジウジするのが趣味というわけではなくて、単純に決めかねているだけという状態であって、だから別にウジウジしているとか言わなくてもいいんですが、まぁウジウジが一番精神衛生的状況を悲惨に表す形容詞だと思っているのでそうしました。ウジって気持ち悪いですよね。イモムシは成長したらアゲハになったりするので素敵ですが、ウジなんてハエなので物凄い悲惨です。生涯のうちに良い意味のスポットライトが当たることはありません。

発案者の Eric A. Meyer 氏は 発案当時の発言 にて以下のように述べています。

To allow anyone who wants to restyle my site to do so simply by 
adding the appropriate rules to a user stylesheet.  By using 
descendant selectors starting with the site ID, the styles will apply 
only to pages on my site.

ウェブサイトの ID を使用すればそのサイトのみにスタイルを適用させることが出来て便利だしカスタマイズしまくりだしウチのサイトも好きなように表示させるといいしfeel free to add your own signature! Yeah! といった感じで物凄い良さげな雰囲気であるのですが、前回も述べたように ID がユニークにならない場合があること(提案当時の命名規則では www.junkwork.net と www-junkwork.net が等価として扱われる)、数字で始まるドメインやサブドメインだと困るということに関して、とても微妙な解決策しか示されていません。

>The bigger problems would be for sites that begin with a digit, but 
>I'm not one of them, so I'll let them worry about that ;-)

    Yes, some sort of prefix would be needed, and I think "ip" is the 
natural choice:  #ip127-0-0-1.

サーバの IP を接頭辞付きで body の ID としてしまうと、サーバ移転の際にそれを書き換えねばならなくなり(そのサーバを次に使う人の CSS signature と被る可能性があるから)、利用者もいちいちユーザスタイルシートを書き換えなければならないという物凄い間抜けな事態を引き起こします。

ログ検索が下手くそなだけの可能性もありますが、以下の提起にも明確な解決策は示されていないように思われます。

 a) you have multiple domains pointing to one site (e.g., I have a
dot-com and a dot-ca)
 b) you have subdomains, or do not own the domain

I have no real solution myself

ひとつの合意の下にルールを取り決めていただけるとありがたいのですがそのへんどうなんでしょうか。

で、実際の利用状況はどんな具合かというと、Mark Irons' Home PageMaking Your Site Modifiable にて CSS signature を推奨していたりもする)では signature を www-rdrop-com-half としてるのですが、これではチルダがある場合の URI とない場合の URI が等価と見なされるのではないでしょうか(www.rdrop.com/~half/ と www.rdrop.com/half/ の signature が一緒、ってことです)(土壌の全く違う話ですが Opera オフィシャルサイト では id="operacom" という潔さ)。また Note @ Temporary-Depot" CSS signature " を付けたよ)の signature は www-pandora-nu-tempo-depot となっていますが、pandora.nu.tempo.depot なのか pandora.nu/tempo/depot なのか(以下割愛)。

つまり命名規則に曖昧で微妙な部分が残されているために思い切り踏み込むことができないので(実装してはいるものの)きちんと皆納得できるようなやつを考えて教えてくれたらいいじゃないか!ということなんですが、さすがにそんなくだらない内容を Eric 氏にメール送って問い合わせるのも気が引ける(プロバイダメアドで送れって書いてあるしね!)のでどうしよう、とウジウジしていた、とかそういうことです。砂糖さん は id="lowreal.net" として 注意書き を設けることであっさり解決していたりしますが、僕の場合は数字で始まるサブドメインという面倒な状況になっているのでこのように明確な解決策を打ち出すことができません(規則上 ID は数字で始まってはいけないからです)。そんなわけでウジウジしているということです。タスケテー。

2005年03月16日

テンプレート改案(まだまだ発展途上)

別にテンプレートに限定した話ではなくて、最近表に出していなかっただけで一応考えてはいた Movable Type 関連のあれやこれやをまとめてここに(二月の勉強中もたまに考えていました)(インターネット中毒)(卒業旅行中もたまに考えていました)(インターネット中毒)(韓国って凄いらしいよ)(どうしようもない)。

ちょこちょこ修正したテンプレート。放り投げ。

修正点(覚えている分)

物凄い細かいことをちまちまと変更。あとはアクセスキーを数字にしようかどうしようか考えていて、というのはウェブブラウザのショートカットキーと被るからなのであるけれど、ぶっちゃけ自分でもたまにしか使わない機能を使っている人がいるのかどうかは怪しいし、苦情めいたものも一切いただいたことがないので、どちらでも良い気はする。

あとはもうひとつウェブログ作成するかも。mixi で書いた文章を オープンな場所へ移す計画 的なことであるのだけれど、単純にタイピング欲を満たすための場所を(さらに)作成するということでもあるかも知れない。

mixiで日記を書く必要がなくなった。外部から閲覧できないこと、書いた文章が散在してしまうこと、一元管理が不可能なこと、適切なマークアップを用いて表現できないこと、などを考えると、むしろデメリットの方が多いとさえ言える。

今の僕にとってmixiの日記は「チラシの裏」であり、以前の404が果たしていた「タイピング欲の充足」を担っていたわけだけれど、上記の理由から別のサービスに移行することを検討する必要もある。かも知れない。

(中略)

さて、どうやったらタイピング欲を充足できるか。その答えはいとも簡単に出た。自前でMovable Type動かしているのだから、「チラシの裏」というウェブログを作成すればよい。イヤッホゥ!ハラショーMT!まぁそんなわけであるのでそのうち作るよ。

そんな感じです。

哀さん から指摘をいただいて CSS signature に穴があるんでないの、というわけで、どうしたらいいかを考えたり 発案者の人 に尋ねてみたりしようかね、ということを覚え書き。発案時の命名規則 では . は - に置き換えることを提案されているわけだけれど、それだと URI が異なっていても同一の CSS signature を持つ可能性があるよ、と。

  • http://www.hoge.mage.com/
  • http://www.hoge-mage.com/
  • http://www-hoge-mage.com/

あとは一切他人事でない上に苦肉の策を施しているのだけれど、数字から始まるドメイン(サブドメイン含む)はどのようにしたら良いのか、ということでコンセンサスが得られていないと自由勝手な命名と何ら変わらないのではないか、とか。

HTML の仕様で id は数字で始まってはいけないので、数字で始まる URI を持つウェブサイトに関して合意を得る必要があるんじゃないですか、と(実際今使っている signature-404-junkwork-net という CSS signature だって、404-junkwork.net というドメインと被る可能性があるし、僕が将来 signature.404.junkwork.net というサブドメインを使い始めたら被ってしまうではないか)。

尋ねる前にログ漁っといて良かった!

>The bigger problems would be for sites that begin with a digit, but 
>I'm not one of them, so I'll let them worry about that ;-)

    Yes, some sort of prefix would be needed, and I think "ip" is the 
natural choice:  #ip127-0-0-1.

でも何で ip ?サーバ移転したら全部書き換え?

2005年03月14日

韓国に行ってきました

三月七日から九日にかけて、ゼミで二泊三日の卒業旅行兼研修(建前)ということで韓国に行ってきました。日付が オーストラリア旅行 の翌々日なのは間違いではなくて、本当にこんなネタっぽい忙しい馬鹿馬鹿しい頭の悪いスケジュールを組みました。死ぬかと思いました。気温差は摂氏三十度にも及んだようです。もはやよく覚えていません。

で、また覚えていることを。都合上疑問符が多いです。

2005-03-07 Mon.

朝 7:05 に中部国際空港セントレア集合。多分メンバーの中で一番現地に近いのだけれど、それでも午前五時起きだったりする。六時には家を出ていたりする。ねえ、もうちょっと余裕とか持ちませんか。そもそも現代人にはこの余裕というものが足りないのであり(以下割愛)。

一週間前にも訪れているので出国手続きは物凄く手早く済む。三十分以上だらだらしたあとに搭乗、フライト。機内食は和食だったけれど、やっぱり味はちょっとアレというか、明らかにヨン様ツアーの豹柄スカーフのおばちゃん集団とかで、ああああ。客室乗務員は全員日本人でした。

一時間と少しで韓国、何とか空港着(全然覚えていない)。現地は晴れていたはずなのだけれど、物凄い濃度の霧がかかっていた。ガイドの方は日本語の上手な女性で、カンさん?という方(一度も名前呼ばなかったけどね!)。車を一時間近く走らせ、首都ソウルへ向かう。

ソウルはまさに日本の東京以上の人口密集地帯であり、地震がない国柄から奇抜ともいえる形のビルが立ち並び、士郎正宗的なオリエンタル繁華街まさしくここに、といった様相であった。中国もこんな感じなのだろうか。

午後一時過ぎに食事を取る。言葉が全く通じず、ノンバーバルコミュニケーションの際には一切言葉を発しない店員の人。あと日本と比べると全然愛想ない。あと辛い。あと物価は驚くほど安いけれど多分数百円分くらい誤魔化された。さておき。その後、ミョンドン?のセジュン?ホテルへチェックイン、男性陣(三人)は後から合流することになっていたゼミ教授を待ち、女性陣(五人)はエステへ。

14:30 には合流予定が、飛行機の遅れで 17:00 くらいに合流。連絡がつかず、ロビーで男三人、三時間くらいうろうろしたり眠りこけたりする(迷惑)。途中明らかに怪しい風体の韓国人男性が近寄ってくる。「私日本語勉強してマス」「日本五回行ったことありマス。アタミー、トウキョー、(どこかの温泉街。失念)」「三人?今日来た?」など、たどたどしい会話の後に、おもむろに鞄から名刺大の紙を取り出す。「ピンクサ〇ン」「ソー〇」。明らかに風俗。「男なら!」「二時間、頑張りマス!」の捨て台詞を残し、男、別の日本人観光客の下へ。「二時間頑張ります」はこの旅行中の流行語大賞を獲得。

教授らと合流、エステ組も戻り、焼肉を食べに行く。これが美味い美味い。牛肉も豚肉も美味い美味い。岩塩で食べるのが結構イケる。Prime というビールが日本のものに比べて口当たりがよく美味しく感じたのだけれど、今検索してもそれらしきものが拾えず。ちゃんと細かく見ておくんだった(真琴さん とか普通に知ってるだろうか)(指で王冠が外せるやつです)。あと向こうの焼酎は口当たりがいいので飲みやすいのだけれど、何気に頭に来るのでクラクラした。とにかく肉は最高でした。

夜の街へ、11:30 くらいに繰り出す。東大門?という歓楽街ぽいところで買物。どうやらこの街は新宿+歌舞伎町的な位置付けであるらしい。深夜であるにも関わらず大音量で何かイベントを開催していた。

その後コンビニ(LG25?とかいうチェーン)で食糧(主にスナック菓子)とアルコールを買い込み、ゼミと称しつつ人生相談など、具体的には修学旅行的トークを繰り広げる。午前二時くらいまで続く。

2005-03-08 Tue.

翌朝、朝食に韓国の一般的な食事であるらしいお粥を食べに。小豆お粥とかそういったものを頼んだら、出てきたものは本当に小豆の味しかしないペースト状のものだった。伝統的お粥と現代お粥というものがあるようで、伝統的な方は結構アレらしい。かぼちゃお粥を頼んだ人と黒胡麻お粥を頼んだ人はともにグロッキー。どちらもペースト。ていうか大き目のラーメンの器にいっぱい入ってるくらいの量で普通に無理。ていうか別の机に座った日本人客には「伝統的お粥は口に合わないだろう」と店員が進言していたのだけれど、何も言われなかった。精進するべき顔付きであったのだろうか僕らは?食後の杏茶みたいなのは美味しかった。

朝市みたいなところへ出かける。ホットック?ホッタクン?とかいうようなそういう食べ物を食べる。ホットケーキミックスにハチミツとシナモンを入れて焼いたようなもの。五十円くらい。ホットック?とホッタクン?は油で揚げたかどうか、の違いがあるらしい。美味しい。

ニセモノブランドバッグ店への呼び込みが「ニセモノばっかりだよ」と。これは逆効果ではないか。というか誰に教えてもらったのだろうか。

その後タクシーでキョンボックン?という、古城みたいな観光名所らしきところへ。が、定休日

とりあえず観光客らしく、記念写真を撮って帰る。他にも観光客は何人かいて、日本だったら定休日とかないんだろうなぁ、と思ったりする。そうでもない?知りませんが。

韓国の昔の建築家は派手好きなんですねっていうかところどころ雪が残っていて寒かった。しかも定休日だ!

歩いて近くの店まで行き、サムゲタン?を食す。鶏肉、柔らかい。フライドチキンも食べる。鶏肉、超絶柔らかい。でもトマトケチャップがちょっと辛いのはやはり韓国であるなと思った。あと、食前酒でわさびっぽい味のお酒が出て(焼酎)、朝鮮人参か何かと聞いたけれど詳しくは忘れた。サムゲタン?に入っている朝鮮人参は苦かった。

ここで教授らが一足先に帰国、タクシーでホテルへ向かう際にタイヤキを買って食べる。店のおばちゃんが物凄い良い人で、日本語一切しゃべれない(こちらも韓国語しゃべれる人が帰った)のだけれど、ナンデムン?(南大門)とかトンデムン?(東大門)とかキョンボックン?とか、知っている単語があるというだけでお互い嬉しそうに大笑いする。言葉のない異文化コミュニケーション。ノンバーバルコミュニケーション。

南大門に行った覚えがあるのだけれど(朝?)、いつ行ったのか思い出せない。あとこの日の夕食は何食べたっけ?タクシーでいくらか上乗せされたことしか思い出せない。

タクシーで思い出したけれど、一般タクシー?と模範タクシーというものがあって、後者は日本語か英語がしゃべれて若干高い。と言っても一般タクシーは 160 円から、模範タクシーは 400 円からなので、日本からすれば全然安いのだけれど。韓国語しかしゃべれないドライバーだと文句のつけようもないから、模範タクシーが良いと思った。

2005-03-09 Wed.

朝からインサドン?へ。伝統的工芸品めいたものを売っている地区。

朝食がまだだったので(ホットック?を食べたけれど)、食べ比べるかということでマクドナルドへ。オーストラリアともね!四番のメニューを注文したかったのだけれど、韓国語で四が言えない。four とかも通じるかどうかわからないし、さてどう注文したものか、と逡巡していると、普通に日本語で案内された。穴があったら入りたいとはあのことであろう。

その後ミョンドン?へ戻り、足ツボマッサージへ。こんなもん別にいいよとか思いながらも、すげえ!を連呼する男性陣。思わず垢すりみたいなやつも買う。

14:00 頃、セジュン?ホテルをチェックアウト。カンさん?に連れられ、免税店へ。事前情報があったから助かったのだけれど、普通の市場より三倍くらい高い。席に座ってキムチの試食会みたいなことをやって、まるで日本の通販番組のようであった。キムチが辛くて食べられなかったので残すと「辛いのダメ?女にも弱いでしょ?」と店員に言われる。真顔で。そうなの?

16:00 頃の飛行機で何とか空港を後に。また霧が凄い。小一時間眠ったらもう日本。近いということは最高だ(オーストラリアは六・七時間所要)。

まぁそういった感じでデスマーチ的卒業旅行週間は終了しました。セントレア開港以来数十・数百万人が訪れているだろうけれど、十日間で二度入・出国した人はそうそういないんじゃないでしょうか、と。

あ、オチはないですよ。本当に。それだけ。

持って帰ってきた物
  • 韓国海苔(八十枚)
  • Kicker(Kit Kat のそっくりさん)
  • マイチュウ(ハイチュウ のそっくりさん)
  • Striker(キャプ翼ぽいキャラが印刷されたスナック菓子)
  • ホテルで食べ残したお菓子とか
  • インサドン?で買ったお面
  • ミョンドン?で買った帽子と小物

キムチは買いませんでした。

2005年03月06日

オーストラリアに行ってきました

三月一日から五日、三泊五日のオーストラリア旅行に行ってきました。何かと(別の意味で)話題の中部国際空港セントレアから出発、オーストラリア北部・クイーンズランド州の観光地、ケアンズまで。卒業旅行という名目ながら、同行した幼なじみ(男)は来年卒業とか、スタート地点から怪しかったりしますが。

覚えている範囲で、出来事をつらつら書きましょう、と。

2005-03-01 Tue.

19:55 発の飛行機でセントレアからケアンズへ向けて。オーストラリア航空。前の席のおっさんが物凄く鬱陶しかったことと、空席に勝手に移動するおばちゃんにげんなりしたことと、とにかく長時間のフライトで疲れたことと、真っ暗だったので景色も何も楽しめたものじゃなかったこと、くらいしか覚えていなかったり。疲れた。

あと、機内食の壮絶さといったらなかった。壮絶だった。

2005-03-02 Wed.

現地時間 4:00 周辺にケアンズ空港到着。時差は日本より一時間遅れているくらいなので時差ボケなんてありえないのだけれど、飛行機の中でろくに眠れなかったために凄い疲労度。ツアー会社のバスに乗って、現地事務所へひとまず集合、説明を受ける。今さらオプショナルツアーの説明されても事前予約してるよ、抱っこちゃんコアラなんていいからとにかく休ませてくれよ、と不満を募らせながら説明を聞く。ごめんなさいスタッフの H さん。

6:00 頃に一通り説明が終わり、ぐったりしながら街をうろつく。が、当然開いている店の方が少ないわけで、ていうか 14:00 までチェックインができないので八時間をどうにかして潰さなければいけないわけで、とりあえず同行者が「(機内食の)口直しをしたい」というので、アーケードに並んだいくつかの店を眺め、Kebab を食べることにする。味自体は普通に食べれたのだけれど、ドリンクが甘い甘い。あと虫とか鳥とかうろうろ。最初のカルチャーショック。

放浪に放浪を重ねて(半分は事務所前で座ってた)、8:00 を過ぎるあたりから店が開き始める。それでもまだうろうろして、10:00 頃に iNTiME というマリンスポーツショップ?へ。日本を出る際に水着を用意しなかったという不手際さ。どうせ向こうの方が安いだろう、という確信的不手際さ。ベッキーみたいな声の高い女性店員は局所的に日本語を交えるので、余計コミュニケーションが取りづらかった。

余談だけれど、今ケアンズ人口の半分くらいは日本人だよ!

そのベッキーの店ではちょうど良いサイズの水着がなかったので(ウエストが大きすぎ)(最低で 30 までのサイズしかなかったけれど、腕一本余分に入った)、"Another store, we have size twenty-eight, NIJU-HACHI" とか微妙に聞き取りづらい高音域ボイスの説明を頼りにチェーン店へ向かう。余裕で迷う。北へ向かうべきところを東へ向かっていたり。

で、チェーン店には確かに 28 があったのだけれど、試着室もないしデザインも微妙だったので結局ベッキーの店へ戻る。高音域で "Oh, OKAERI" とか言われる。彼女らはどこで覚えるのだろう?観光客の会話を聞き取るとか、現地日本人スタッフから?(もちろん、日本人が一番お金を放り投げるからだろうけれど。)

水着とサンダルを買い、アクセサリーショップの日本人スタッフの案内で Lagoon へ。ケアンズ観光街にあるプールのようなもので(海水)、そこで三十分ほど泳ぐ。日本人が多い。

時間がちょうど良い感じになったので、ホテルへチェックイン。Cairns International Hotel は割にランクの高いホテルだそうで、確かにベッドルームは最高だったので大満足だった。歯ブラシと剃刀がなかったので後日マーケットに買いに行くのだけれど。二人部屋にダブルベッドが二つ、ということは連れ込み可だろうか!とか言い合うも、僕らにそんな気概はないのです。寝心地とかは最高でした。空調も最高でした。

六階の窓から見える景色はなかなかに壮観だったのだけれど、あのホテルは確か十五階か十六階くらいまであったから、きっとそっちはもう筆舌に尽くしがたいのだろう、とか。

マーケットへ行き、生活雑用品と飲料水と歯ブラシを買う。そんなに物価は安くはなくて、ペットボトル一本 3.50 AUD、日本円で 300 円前後くらいだった。同一の商品でも店舗ごとに結構値段の違いがあったり、メーカーによって倍近い値段だったり、という点も日本とは大きく異なるのだけれど。土産物屋で TimTam とジャーキーを買う。前者は冗談かと思うくらい甘いチョコレート菓子、後者はカンガルーやエミューの燻製。食べられなくはない。

土産物屋にあったカンガルーやクロコダイルの前足を使った孫の手が物凄く不気味だった。黒魔術儀式にも使えそうなので、お立ち寄りの際にはどうぞ。

2005-03-03 Thur.

オーストラリア滞在二日目はクルーザーで グリーンアイランド へ。結構なスピードで走るし揺れるしでちょっと酔う。ていうか本当に日本人多い。乗船スタッフの四分の一くらいは日本人スタッフだったような気がする。日本人客の割合もそれくらい。

一時間弱の船旅後に着いたグリーンアイランドは、もう最高としか言いようがなかった。グレートバリアリーフの珊瑚礁だったかが世界遺産に指定されていたというような話だったけれど、見た瞬間に確信を持つことができるものだった。死ぬまでに一度は見ておくべきものを見られた。海、碧、空、青、砂、白。魚に 20cm の距離まで近付ける。雨季であったためたまに雨がぱらぱらと降ったが、晴れたらすぐにそれを取り戻すかのような暑さに。紫外線対策はしすぎて困ることはなくて、日本から持参した強力日焼け止めでは三倍の紫外線に耐え切れず、背中一面を真っ赤にすることになった。あと髪も焼けてやや色落ちした。

昼食はそのままグリーンアイランド内のバイキングで。小鳥が人間のおこぼしを狙って徘徊(雀や鳩もいた)。というか相当ワイルドに人間の食事を狙っている黒い鷺のような鳥がいて、椅子や机の上から首を伸ばしつつ威嚇などしていた。かなり大げさに手を振ると逃げるのだけれど、30cm くらいの距離に近付いただけでは微動だにしなかった。タフ。

食事後再度泳いだりする。そういえば底面が硝子張りになったボートで珊瑚礁を見学もした。シャコ貝だったか、数メートルサイズの貝なんかも見た(あれってブラックジャックに出てきたやつだろうか)。珊瑚礁の造形も理解、というか、空想や想像の枠を思い切り飛び越えたようなものだった。

14:00 過ぎにグリーンアイランドを出発し、ケアンズへ戻る。その後少し買物をしてうろうろするけれど、相当疲れていたのと背中が焼けすぎて痛かったので早々とホテルへ戻る。食事をしに外へ出たり買物したり、の繰り返し。食事はお世辞にも美味しいとは言えず(日本人の口には合わなさそう)、油で揚げたものは必ずバターの味がしたり、どこか大雑把なところが残っているものであったり。ケンタッキーもマクドナルドもどこかが違う。コカ・コーラはダイエットコーラの味だったり、ペプシコーラがやたらと美味しく感じたり。ケンタッキーはベーコンとチーズを追加でトッピングできたりして、それは目新しくて良かったのだけれど。

2005-03-04 Fri.

オーストラリア滞在三日目は電車で、これも世界遺産に指定されている キュランダ へ。

外観も内装も乗り心地もレトロな電車で、二時間かけて高度 340m のキュランダ村へ。路線開通には歴史的なエピソードと大工事があったとのことで、ケアンズ郊外の共同墓地を横目に見る。

ユリシーズ(ユリシス?)・バタフライ という「一度見たら幸せになり、二度見たら幸せが帳消しになり、三度以上見たらお金持ちになれる」なんて幸せの青い鳥を地で行くような綺麗な蝶が見られたりする。

「この風景は十年間、『世界の車窓から』のオープニングで使われていたんですよ」とのこと。僕はあの番組の密かなファンであったりします。

途中、何とか言う駅に着く(ストーニークリークだっけ?忘れた)。物見台のようなところから壮絶な滝の景色が見られるから、是非写真を撮ってみてくれ、というスタッフの声に促され、電車に乗った数百名規模の人たちが一箇所に集まり、カメラを構える。いかにも日本人らしい光景であるなぁと思ったのだけれど、観光客というのはそうあるべきのようで、白人も多く見られた。キュランダに集まるのは日本人で、欧米人はモスマン渓谷に集まりがちのようです(蝶の習性のような解説)。

バロンフォールズ(バロン滝)は物凄かった。絵葉書かミニチュアでしか見たことのないようなものを、数百メートル先に見ることができた。ケイン・コスギと宍戸開が「ファイト一発」のアレを撮影に来たそうですよ(どうでもいいけれど)!

キュランダ村で食事をしてから、買物と散策。日本人スタッフ多すぎ。BICO というサーファーズブランドのネックレスなんかを仕切りに薦めてくれて、「〇〇(何かのドラマ)でキムタクが着けていた」「中居くんも着けていた」「これは浜崎あゆみモデル」と実に(僕にとっては)魅力的でないセールストークで迫ってくるので、学生生活中に習得した作り笑顔スキルで乗り切る。実際日本人の何パーセントかにとっては物凄く魅力的な商品で、値段も相当に安いのだろうけれど。ネックレスがチェーン込みで 50 AUD 切るくらい、日本円で四千円くらいでした。同行者は「来る前に友人からの買い付けリストを作成していれば」といかにも残念そうな発言をしていて、僕は「それは残念だなぁ」と思った。

とにかくそういった感じで買物をして、森林浴をして、その後帰りはゴンドラで麓まで。世界二位の長さ(一位は日本の新潟)、二つの連なったゴンドラを合計すると世界一位の長さ、という売り文句のゴンドラ。エリザベスさんという偉い人も乗ったそうですよ。僕はその人のことをよく知りませんが。

地上数十メートルのゴンドラから見るキュランダの熱帯雨林は本当に壮観で、窓からデジカメを差し出して撮った写真は絵葉書にすればお小遣い稼ぎにはなろうものであったのです。あとヤドリギとか、がじゅまるみたいな木も多くあってカオスな熱帯雨林でした。幹が直径四、五メートルはありそうな木とか。ジェットコースターは大丈夫だけれど観覧車が苦手な僕にとって、ゴンドラは向こう十年乗りたくない乗り物に認定されたわけですが。

ケアンズ着後、なぜか免税店で買物、というところまでツアーに含まれているのだとか。DFS Galleria で三十分くらい買物、帰りに無料でチョコレートをくれた。パッケージのチョコレートと中身のチョコレートの形が全然違い、しかも個数すらパッケージの方が多いという JARO に訴えたくなるような珍品をいただいたのだけれど、そもそも JARO の管轄でもないし無料で訴えるなんて恥知らずであるので恥の文化圏である日本人的にうやむやに水に流そうと思った。

ホテルに帰り着いてからは前日と似たような行動。同行者は前日の夕食の味にショックを受け、自主的かつ一身的な事情により夕飯抜きでした。

2005-03-05 Sat.

朝食を Lagoon 近くの喫茶店のコテージみたいな場所で。ハム・チーズ・ベーコンベーグルとショートマキアート(スターバックスのキャラメルマキアートみたいな甘いのではなくて、真っ黒で重いくらい濃いコーヒー)。正直これが滞在中の食事で一番美味しかった。あと雀の大きくなったようなやつが食事中にも皿に乗ろうとするので、隣の席のスキンヘッドビジネスマンは相当苦労していた。

ふと目をやると Lagoon 周辺にいくつかテントが出ていて、土曜日朝限定らしいマーケットのようなものが開かれていた。いくつか面白い商品があったので眺めて、貝殻のアクセサリーなんかを買った。

9:30 頃ホテルの部屋に戻ると、現地旅行会社スタッフの H さんから直接部屋に電話がある。「帰りのバスのご案内は何時頃となっていたでしょうか」明らかに悪い予感をともないつつパンフレットを見ると、チェックアウトは 11:00 と書いてある(前日確認済み)。が、それを伝えると「三枚綴りの、当日お渡しした……」と。嫌な予感がかなり強まり不安が増強しまくり冷や汗やや流れまくりなので「とりあえず今から下(ロビー)に行きます」と告げ、ロビーへ。数分後 H さん現れ、こちらの手荷物確認すると、黄色い蛍光マーカーの引かれた 8:35 の文字が無事発見される。慌ててバスへ。運転手のリチャードは日本通で「ゲッツ!」とか言っていた(どうでもいい)。

空港へはすぐに着き、出国手続きが始まるくらいのところであった。というか帰りのバスで送迎後、一時間 DFS Galleria で買物、ということになっていたようで、正直免税店に全然興味を持たない僕(ら)にとってはそこだけ省いたかたちになり結果オーライ(スタッフにとってみれば連絡全然つかなかったわけだからオーライでも何でもないのだけれど)(大変な仕事だなぁ)。

帰りの飛行機は天候も良く日も高く、景色はまたこれも凄いものであって、眠気も余裕で吹き飛んだ。あと機内映画は "MR.INCREDIBLE" と "BRIDGET JONES'S DIARY" で結構楽しんだ。行きの飛行機とはまさしく雲泥の差であったよ!

帰国後、同行者が「向こうの思い出を清算したい」的なニュアンスの発言で日本食を求めるので、すがきやラーメンでねぎラーメンを食すのを傍目に銀だこを食する。日本は何を食べても大抵美味しいので幸せだ。

無事、帰宅。背中の日焼けは痛痒く、二日後の朝には同じくセントレアから韓国へ飛び立つ強行スケジュールであるけれど、無事帰り着いた。

単純に海外へ自分の責任で行くことだけでなく、オーストラリア・クイーンズランドという土地はとても素晴らしいところであった(飲食に関して心構えをしておけば)。見るべきものは見られたし、行くべきところにも大体行けた。同行者にも出資者(親)にも感謝であって、ていうか本当に明日韓国行かなきゃダメですか?気温差摂氏 30 度近くあるんですけど。