規則正しい生活を一日でも乱すとそれ以降はもう悲惨なものになるのである、というか規則正しい生活なんてここ三週間ほどつまり年明け以降一切無縁のものであるのだけれども、勉強というかきっちりやるべきことをやるということに当てはめて考えてみて欲しいというか今「勉強」ってタイプしたら俄然やる気が削がれたという魔法のような言葉であるけれど不思議といい気がしないのでしばらく考えないことにする。
自転車には購入当初ライトが付いていなかったので買いに行く。鍵とか空気入れ買いに行ったときに一緒に買えば良かったものを。過去の自分というのはとにかく間抜けに思えて仕方がない。同じ論理でいくとこの文章も二時間後あたりには破棄したくてたまらないものになるであろうから、二時間経たないうちに書き上げてしまわないといけない。いけなくはないけど、何かこう、映画のストーリーに例えるといけない。例える必然性はない。だからいけなくない。今そう言ったよね?言ってる言ってる。良かった良かった。良くはないか。
ライトを買った帰りに(実はライトを買いに家を出たのが六時過ぎだったので既に真っ暗)(自転車には購入当初ライトが付いていなかった)(気持ち悪いループ)古本屋に寄って、よしもとよしともの 青い車 と田中圭一の 神罰 を買う。中山昌亮の不安の種という漫画が以前売られていたのを逃したのを思い出す。というか別の古本屋だったことを後で思い出す。立ち読みしただけでも気持ち悪かったのが、暗い中で自転車漕いでる間に思い出すとますます気持ち悪い。ライトが付いていないせいもある。不安になる。
図書館で借りた CD が CCCD だった。借り物の CD がパソコンで聴けないのは、残念だけどどうということはない。買った CD が聴けなかったら投げ捨てかねないけど多分投げ捨てないからいいか。お金を出して円盤を買うより、お金を出して権利を買って、それで音源を何度でも DL できるようなシステムだったら良かったのにね。残念ながら当時はそんな設備と環境と構想が整っていなくて、今はもう柔らかい頭がないらしい。
真琴さん に何で 404 ?
と問い掛けられたことに答えるような文章を書こう書こうと思っているのだけれど、どうにも書き上げる気力が沸かない。僕はこつこつ書き上げていくタイプではなくて、十分か十五分時間のあるときに気力が充填していれば書いてみせるぜ!という典型的な兎タイプ(『童話・兎と亀分類法』 による)であるので、まぁつまりはそういうことです。
あと懲りずに中原中也の云々、ということもやっていて、全集とか読んでいて、Unicode ネイティブ(?)なエディタを導入していたり Unicode なフォントを探したりしていたりする今日この頃です。
元気っちゃ元気ですよ実際。