Archive

主人公は特殊であるべきか

あー。テスト。独り言を言いますよ。独り言と銘打ってはいてもそれをネットに晒す心積もりで書いているわけだから、それを読んだ誰かの精神面において何らかの作用が引き起こされることを期待するものでありますよ。さらに言うなれば「独り言」という前置きをすることはこの件に関して誰かと壮絶なやり取りをすることはあまり望まないという意思表示でもあるということですよ。まぁ軽く聞き流すような。

実は自らエントリーしたことすら半ば忘れていた 第2回カオパラらんきんぐ なるイベントに対する参加希望作品が カオパラ掲示板 なる場所で題名を連ねているわけですが(要するに掲示板で参加作品を自己申告という)、タイトルから何となく読む気になりそうなものを探しては読んでみたりしたわけです。足繁く当サイトへ通っていただいている諸氏にはわたくしがファンタジーというものに対して一種の嫌悪感を剥き出しにすることもやぶさかでないことをご存知であると思いますので、その手の作品は当然のように読まずに飛ばしたことは明記するまでもない事実であると解釈していただいて結構です。

で、面白そうなタイトルというか面白いタイトルの作品をいくつか読んでみたり、その作品をエントリーすると決めた作者の他の作品を読んでみたり、リンクをたどってその作者が好むような作品を読んでみたり、と、ある法則に従って対象を限定してから行った行為であればネットストーキングなどと呼ばれてしまいそうな巡り方をしてみたわけです。物事の作り手にとってはやや快感を覚える仕打ちかも知れませんが。まぁそんなことはどうでもいいのです。

そこでタイトルに戻るわけですが、物語に登場する主人公は何かしら秀でた部分を持つべきか?という。あるいは極端に欠落した部分を持つべきか?という。

そんなもん人それぞれだし作品それぞれだろう、と思う方も少なくないでしょうが、これがまたそういうわけではないようなのですよ。せいぜいが四・五人の書いた十かそこらの小話を読んだ程度なので正確な統計データからは程遠い経験則ですが。

もちろん何かしら飛び抜けた能力や感覚を持った登場人物というのは魅力的な側面を持つでしょう。あるいはあまりに世間からズレているとしかいえないような純粋な心根のヒロインが魅力的であるとか、実年齢に似合わず世間にうまく溶け込むような擦れ方をしている少年が一部の読者にとって堪らない魅力であることもあるでしょう。けれどそれは一歩間違えれば紋切り型として実に魅力のない、薄っぺらで使い古された、数え切れない人の手垢がついた(そのうえある種の欲望にまみれた)存在することすら哀れに思えることもある人格として、ただただ読み手に同情を促し続ける(しかもそれは想像力の希薄な作者め、といった類の)物語も舞台設定もその他の人物も何もかもをぶち壊しにするものになり得ることを意識しなければならないかも知れません。

これが人それぞれ・作品それぞれでないという根拠は実に少ない読了数による経験則であることは先に述べたけれど、あるひとつの作品において主人公またはそれに準ずる登場人物に特殊な力や魅力を与えた場合、その作者は他の作品においても同じような設定を施すことが少なくないように思える。この作品にはこの名で紋切り型な登場人物、こっちの作品では別の名で紋切り型の……などということが繰り返されているような。「主人公は天才肌の……」「年の割に冷たい目をした……」「男性とは思えない細身の美少年……」このような愚にもつかない自分の欲求に純粋な気持ちで描かれ始めた作品の多いこと、またその繰り返しの多いこと。物語の進行上必要であるというものならまだしも(語られるべきテーマと感じているものに対してそのために必要な要素を揃えるのであれば、少なくともテーマに対しては誠実であると言えるかも知れない)、自分が単純にそのような人物を意のままに動かしたいからであるとか、自分が抱えている感情を痛快に表現してくれる誰かを空想の中に求めているだけであるとか、愛と偽り欲望のはけ口にするようなものもあり、小脳と言語分野と指先が連結しているかのような、まるで三文 SF が描いた破滅的な未来における搾取される階層を連想させられていくらかの絶望めいた感情を抱くに至ることもあるとか。彼らにとって登場人物は血が通い肉を持つものではなくて、いくつかの要素やステータスを備えた紙人形のようなものなのだろうか。

特殊な主人公が特殊な能力を持ってして特殊な事態を特殊な方法で解決する小話よりも、どこにでもいる誰かがどうにかして問題をやっつけやっつけしていく方がいくらかリアリティを伴うし、そうでないものが溢れ返っている状況で「特殊な主人公」でいることは却って平平凡凡であるよと声を大にしているようなものであると言える。そもそも、天才の苦悩だの野心だの世間との確執だのといったことは凡才に描き切れるものでは当然ない。精神学でいうところの幼少時の万能感に憧れて完全無欠な主人公を創造することも悪くはないけれど、それは所詮都合の良い世界での都合の良い何かでしかないわけで、そんなものに愛だの情だのといったことを説かれようがそれも都合の良い何かであることは連想するまでもなく。そのようなものが本当に誰かの心を突き動かし得ると思っている書き手は自惚れが強いか状況が見えていないのだと言わざるを得ないし、そのようなものに本当に心を突き動かされたと思っている読者は人生を見直した方が良いと思われる。

途中から多分ある作品に対する感情が混ざっていてわけのわからない文章になっているような気がする。とりあえず、そういう作品を書いている人は、一度アノニマスな誰かが現実世界で動く場面を描いてみると新しい発見になるのではないかと思う。

Comments

Trackback