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時間の流れと主観と物理

自分の中でいくつかキーワードが重なったので書く。

クオリアと諸概念融合

つまらない時間を過ごせば、その時間は自分の中で長く感じ、逆に楽しい時間を過ごせば、その時間はあっという間に過ぎてしまうだろう。時間というのは曖昧で、そこには物理学者もメスの入れようがない。

高校の頃、物理科の教師が「歳を取ると一日一日が短く感じられるのはどうしてか?」という疑問に対してこんなことを言っていた。

「人間が感じる一日の長さは相対的なものである。一日は二十四時間と定められているが、一分一秒をどれくらいと感じるかについて時間の基準そのものが個々人によって異なるし、それが年齢を重ねることによって大抵は短く感じられるよう変化することを経験的に知っている。立証する手段は今のところないが、このことに関してひとつの仮説をたてたことがある。それは、人間が感じる時間の基準は過去に経験してきた時間の量と相関があるのではないか、ということだ」

つまり彼が言いたかったのは、「歳を取った人間は多くの時間を過ごしてきたから、過ごしてきた時間の全体量に対する現在の時間(一分一秒)の割合というものを考えると、同じ量と定義される時間が短く感じられるようになるのではないか」ということらしかった。経験した時間の全体量に対する今この瞬間の一分一秒というのは、当人が歳を重ねれば重ねるほど短く感じるようになる。

一歳の赤ん坊が過ごした時間は一年 = 十二ヶ月 ≒ 365 日 ≒ 8,760 時間 ≒ 525,600 分……であり、これに対して二歳の赤ん坊が過ごした時間はそれの約二倍、1,051,200 分。525,600 分に対する一分と 1,051,200 分に対する一分の大きさが違うことは明らかであり、このようにして過ごした時間の全体量が少しずつ増加するのであれば、一日(一分一秒)がだんだんと短く感じられるようになるのは当然のことだ、と。

そんな変り種の物理屋に教えられると割と受験勉強も苦にはなりませんよ、と。高校三年の学年末試験なんか「高い場所から飛び降りた際、足に受ける衝撃を少なくするにはどうすればよいかあなたの考えを書きなさい」みたいな問題だったしなぁ。っていうか何の話をしてたんだっけ。

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