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リスクがある人の責任

儀式みたいなもんだと思ってますが。

信念持っている、体験生かす…郡山さん・今井さん

自らの責任について問われると、郡山さんは「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるものがある。リスクを背負っているのだから、僕らには当てはまらない」と話した。さらに、午後8時から日本外国特派員協会で開かれた2回目の会見では、「信念、自信、誇りを持っており、自己責任とか自業自得とか言われるのは心外」としたうえで、「今回、取材は何もできなかった。準備ができ次第、また(イラクに)行きたい」と述べた。

直接記事とは関係ないのだけれど、例の三人が帰国した日に前後して、Yahoo! チャットで郡山氏の「自称恋人」と話す機会があった。当然のことながら落ち着かない様子で、「電話してみたいけど今は無理か」とか「やめといた方がいいんだろうか」ということを何度か繰り返し発言していた。自己ループ。

信念持って行動すること、命懸けで行動することがどんなに難しいかを想像することは難しくないし、そのことで誰かが救えるのだからそうする、というのも尤もだとは思えるけれど、自分のごくごく身近な人間を泣かせてまで、地球の裏側にあるような国のことを心配するんだろうか?人としての器の小さいわたくしめなどは目に見える範囲の誰かに迷惑をかけない程度のことで精一杯なので、親家族兄弟恋人友人その他大勢の自分に関わった誰かを不幸にする可能性を大いに孕みながら、そのような渦中へ身を投じる自己犠牲のような概念は全く理解できないところであります。誰かが泣いてるから頑張って、その代償として別の誰かを泣かせてどうしようっていうんですか。

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