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逃げ出したい夕方

課題という非生物かつ曖昧な存在に対して殺意を覚えるというのは如何なものか。そしてそれを解決するための方法が目の前にぶら下げられているというのに、悟りきった蛙の表情で「柳に向かって飛び続けても詮無きことだ」とは何様のつもりか。自分。

思い起こせば小学校二年生の頃から宿題というものが本当にだめで、漢字の書き取りの宿題ほんの一頁、二百枡もないような方眼用紙に漢字を書くことすらだめで、これを行ったところで誰が得をするんだろう?漢字なんてものは紙に書かなければ覚えられないものじゃないし、できないやつは努力してできるやつはやらなくてもいいじゃないか。そのためにテストがあるんじゃないのか。教師はあれを行って何を見ているのだ。などと小学生らしからぬ思考回路でもって結局やっつけ仕事で書き取りを済ませたりしていたのだけれど、よくよく考えればこういうプロセスを辿るということが書き取り宿題の本質であったんだろう。そしてそれで見事に十数年後のだめっぷりを予見されている自分の情けなさときたら。

大学に入ってから知り合った子と、こんな会話をしたことがあった。

「課題面倒。なんでこんなことやるんだろう」
「必要だからでしょ」
「清掃員のおっさんにでもなってたら課題やらずに済んだかな」
「しょうがないよ。幸せにリスクは付き物でしょ」

清掃員の方も色々と苦労はあるのだろうけれども、少なくとも紙に文章を書きなぐるという最早時代遅れと言わざるを得ない資源の無駄遣いを体現したような課題を課せられることはなかっただろう。いやそうじゃなくて、幸せかこれ?いやそうじゃなくて、リスクっていうのかこれ?

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