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アメリ

面白い面白いと色んな人が言うものだから決して観るまいと心に誓っていたのだけれど、ていうかまあ実際にはそれほど強い意志でもって観なかったわけではなくてただ縁がなかっただけのことであるのだけれど、というのも僕は初対面あるいは仲の浅い人には必ずドン引きされるくらいにスプラッターやホラーが好きだからであるのだけれど、それにしてもあのようなデコラティブな血液や傷がどうして生理的嫌悪感でもって人々に受け入れられがたい存在となってしまうのか、ゾンビの存在を愛してこそいないものの快いと思っている僕にとって、ホラー映画否定派(積極的否定派 ≠ 非・未肯定派)が槍玉に挙げる子供にとっての教育的悪影響だとかそういった要素については、映画後の家族の食卓において円満にフォローされるべき問題であると考えられるものだ。もちろん僕においては幼少時のジェイソンおよびフレディ・クルーガーとの接触という体験がろくでもない影響を及ぼしていることは明らかであり、例えばほのぼのラヴコメディであるところの「アメリ」について語ろうとした矢先にスプラッター映画におけるカリスマについて語る羽目になる、などが顕著な例である。

で、知り合いに好意で DVD を貸していただいて、傲慢にもしばらく観ずに放置しておいて、先日機会があったのでようやく観るに至った。このようなダメ人間が身近に居ることについての彼および彼女らの精神的苦痛たるや筆舌に尽くしがたいものであると諸兄らは空想するであろうが、これも全てフレディ・クルーガーのマインドコントロール的なそれによるものであると考えられると言えばよいのだ。僕が。

で、肝心の映画の中身はというと、まあ面白かったのであるけれど、よくできているからこそ気になる部分がいくつかあるのである。例え僕がスプラッター側の人間でありラヴコメ側の人間でないことを加味したとして、だ。

まず第一に、アメリは罰を受けないのか?彼女が何かしら人助けをしようと画策するシーンは愉快であるけれど、いたずらしっぱなしでいいのか?野菜店の店長(面倒な名前なので忘れた)なんぞは哀れなものだ。あとカフェの客のレコーダー男(そもそも名前を覚える気がなかった)と病気タバコ番(アレルギーの子)の二人だって哀れなものだ。父親はちょっと羨ましい。あれだけ引っ掻き回しておいてのうのうとハッピーエンドとは、それこそ情操教育に悪いではないか(こぶしを机に叩きつけ、鈍い音を立てると同時に悶え苦しむ)!

次に、彼女はあのハッピーエンドで満足なのか?ユニークでファニーでコケティッシュ(超死語)なあのアメリが、普通の(ちょっと変わった)男と一緒にいることで幸せになれるのか?言うなれば過剰な保護環境により感情の一部を欠落させられた、つまりある種の適応障害的な面を持つ女性があの証明写真マニアとハッピーエンドを迎えられるのか?迎えられそうな気がするが、それはともかく、時間差でお宅訪問で面会でキスでベッドイン、で普通の恋愛を成就してしまうのか?それまでの人生の否定にすらなりえるじゃないか(椅子を蹴り飛ばし向こう脛を抱えて唸る)!

あと何か他にもいろいろあったような気がするのだけれど、仕事もろくにできない店員に鍵を持たせてアパートに野菜を配達させる習慣は一般的なのでしょうかとか、公衆電話に電話をピンポイントで掛けることは簡単なことなのでしょうかとか、あれだけ美人だったら引く手数多だろうとか、ドワーフ(ホビットだっけ?)を撮った写真のアングルなんかがどれもいい感じだとか、まあそういうことです。

だから君たちは安心してスプラッターを選択してよい(結論的にはこういう方向性でお願いします)(この文章はリハビリ的なものだと思ってください)(いわばリハビリズム)(ごめんそれは違うよね)(ごめん……)。

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Last modified : 2006-05-12T18:57:35+09:00