いろいろなところで「つまらない」「くだらない」という評価を頻繁に見聞きする映画の DVD を中古市場において野口英世一枚にて入手したりしなかったりでしばらく放置しておいたのだけれど、たまの休日のちょっと時間の空いたところで観てみた。時間を無駄にする覚悟ではあったけれど、いわゆる B 級ホラー好きにとってそれは避けては通れない道であり、無駄にする時間がなければハリウッド娯楽大作でも観て涙を流していればよいのだ(「いわゆる B 級ホラー」がだめなら「ミニシアター系」と読み替えればよい)!
で、観てみたのだけれど、それほど悪くはなかった。というかまあ年代的には微妙な位置づけであるけれど、ソウ に代表される状況限定スリラー(こういう系列の映画の話をするときに持ち出す映画として最もわかりやすい例になってしまった)として「映画制作科生徒の卒業制作ドキュメンタリー」というモキュメンタリーはとてもオイシイのだ、ということであり、後に多くのフォロワーを生み出すことからも(商業的にヒットすれば当然だろうけれど)ひとつのモデルとして完成されているあるいは完成されているとみなされているのではないか、ということ。
世間の評価はやっぱりアレなのだろうか、とか思い検索をかけてみるも(マイナーかつマニアックなジャンルの愛好者としてはダメ行為)、つまらない派の批評はあまり意味がないとかそういうアレでした。
- ヘザーが言い合いやら何やらを撮影し続けているのはおかしい
- 最後のシーンで一緒に行動していないのはおかしい
- 結局何が何だかわからないままで何が怖いのかよくわからない
というご意見がいくつかあったのだけれど、ヘザーがあれだけ映像キチガイである点を考えると(呪術的なオブジェクトを執拗に撮影する、とか)(設定として不気味、という話であればそれは全く意味のない批評)(ああいう人いますよ!)彼女自身が映像中で説明するように、どんな物事でも記録しておこう、という主張を持つことは全く不自然ではないし、喧嘩がヒートアップしたところでは一旦映像が途切れてクールダウンしたところから再開、とか、むしろ真実味があるとさえ言えるのではないか、とか(タイムスタンプもないし時間の概念が分かりづらいけれど、九十分に八日間納めれば撮影していない時間がどれくらいか、を推測することだってできる。起きている間はずっとカメラを回していた、わけではない。バッテリーもないし)。
最後のシーンで一緒に行動していない点については、ヘザーのみが知っている事実がひとつある、ということがポイントではないでしょうか。彼女がそれを告げずに破棄してしまったこと(手を洗うシーンね)を考えると、彼女だけ及び腰で後ずさり、そのことを知らない人は必死になって飛び込んでいく、ということであって、要するに罠か何かだと怪しんでいる人だけ出遅れた状況になるのは当たり前のことなわけです。あと最後周辺のシーンで冷静に撮影するとかしないとかは、むしろただカメラを持ってるだけで意識していないとかそういうことではないでしょうか。
結局何が怖いのかわからない、という人は想像力が発達するまでハリウッドのお世話になるといいと思うよ!空想の余地の残っていない映画というサービスを受けたいのであればそういう映画を選択すればいいし、スクリーンに何もかも投影されているようなものを求めるのであればドキュメンタリーおよびそれに類似するものを観て楽しもうと思うべきではない。作り話ならともかく、そうでない(ように意識された)場合においては完全補完というのは不自然であるよ、と。
あと出演者全員頭悪そうな顔をしていて、演技なのか演技じゃないのかわからないアメリカンな感じのノリがとてもベストチョイスだと思いました。
土壌としては日本にもああいった映画のネタは数多くあるように思うのだけれど(「八つ墓村」のモデルになった 津山三十人殺し だとか)(「リング」だってムラ社会に封印されたじめっとした部分が土台になっている)、日本でああいったホラーが制作されない理由はやっぱり日本人の気質なんだろうなあ、という思いを抱いたりするよ。日本人はそんな状況に逢ったら果敢に行動するのではなく沈黙を選んでしまうのではないか(ミートゥー)。「触らぬ神に祟りなし」という。